イートン校サマースクールに匹敵する巣鴨サマースクール見学記
8月22日、早朝の新幹線で現地入りし巣鴨サマースクール三日目に同行した。この日は、学園の施設「蓼科学校」と、宿泊・レッスン会場をかねる「立科ユースホステル」二会場を移動しながら英語のみのレッスン見学、アクティビティは屋外スポーツという1日。今、取材メモを振り返ってみると、まるで授業を受けたノートのようなページばかりが残っている。(取材・撮影・文/市川理香)
生徒の心に火を点ける
「真冬の早朝に、全校生徒が褌一丁で寒中登山する学校」
いろいろな行事の特色がミックスされて、こんな間違った都市伝説が生まれた巣鴨中学・高等学校。しかし、褌一丁になる巣園流水泳学校は中1真夏の館山。希望者が参加する柔剣道の寒稽古は確かに冬だが、終わった後の豚汁は最高らしい。大菩薩峠越え強歩大会は、学年によって距離も違うが剛の者は下りでは半ば走るようにしていくらしい。行事を助けるOBのボランティア組織の絆の強さもピカ一。これらの伝統行事は良く知られているのに、実は都内男子校で唯一の、イートン校サマースクール参加を認められているのは巣鴨。しかも16年前から、ということが広く知られてきたのはここ最近のこと。入学前作文に、「イートン校サマースクールに行きたい」と書いた生徒も出てきた。ようやく学園の魅力のひとつとして、イートン校サマースクールが認知されてきたようだ。
イートン校サマースクールとは?
イートン校はイギリスのパブリックスクール(私立の中等教育学校)を代表する、全寮制の男子校。ウイリアム王子やハリー王子が出身であることを耳にしたこともあるだろうか。イートン校が主催、提供するプログラムに参加できるのは同校が認めた学校のみ。歴史と文化の香りに満ちた土地、建物で英語や文化を学ぶプログラムはイートン校が作成、そのプログラム展開の中心にいるのがダイレクターたちで、大学・大学院生・教員が多い。彼らとともに過ごす7月から8月にかけての3週間は実に濃密。巣鴨は2002年から毎年、イートン校サマースクールに中3~高2までの希望者が参加している。
SSSの独自性
「イートン校サマースクールの魅力は、全人教育をうけた講師と触れあえること」と国際教育部部長・岡田英雅先生の答えは明快だ。但しイギリスに渡り、イートン校サマースクールに参加するのは希望者で、費用もかかるため、自ずと人数も限られてくる。しかし、英語で何を話せるかを大切にしつつ、母国語の檻から抜け出せる感動体験から得られるものはとても大きい。何とかもっと多くの生徒に体験してもらえないだろうかと、ずっと考えてきたという。そこで遂に昨夏、国内でスタートさせたのが、巣鴨サマースクール(以下SSS)だ。
「トップエリートと過ごす日々から得られるもの、彼らの人格に触れること、そしてテストや仕事のためではない英語、将来の自分を考えること、そんないろいろなことがこの6日間にはぎっしり詰まっています」と入試広報部部長の大山聡先生。今回SSSを見学し講師の熱量に触れてみて、イートン校現地のプログラムに匹敵すると絶対の自信を見せるのはなぜか、その一端を感じることができた。
イートン校の作成したプログラムが参加校に一律に提供されるイートン校サマースクールに対し、SSSは巣鴨がダイレクターとともに独創性のある内容を用意する。ここにSSSの真髄があるといえるだろう。担当の岡田先生は、まず各講師と、巣鴨がSSSで目指すものを共有する。そこをベースにしてダイレクターのオリー先生とスカイプやメールを駆使してディスカッションしながらレッスン案を練り上げていくので、生徒に何を伝えたいかが投影されていく。招聘する講師が決まり、その講師個々とも、どんな授業をするのか、フィードバックを繰り返しながら掘り下げていく共同作業がある。まさに「人」ありきのオリジナルのプログラムとしてSSSが独自性を自負する所以だ。
SSSが実現した講師陣
今夏SSSに参加したのは中2から高1までの希望者52名(中2・3各20名、高1は12名)で、中学生4クラス、高校生1クラスを編成。第一回の昨年は中2・3の希望者40名で実施したが、少しでも多くの生徒に参加して欲しいと宿泊施設をやりくりし、定員を10名追加した。 3月に、SSS学内説明会を実施。この時点で、すでに岡田先生と本プログラムのダイレクター、オリー先生は、プログラム内容の検討を開始している。説明会には約200名が参加。最終的に手をあげたのは定員の約2倍。全員参加してもらいたいところだが、涙を呑んで選考することになった。英語の小テスト、定期テストの成績上位者数名は無条件当選、残りは抽選となり計52名の参加が決定。本人の希望や保護者の勧めという生徒などさまざまだが、高1の3学期のターム留学に備えて経験を積んでおきたいという生徒や、昨年もSSSに参加し今年も再参加という中3生の姿もあった。
講師は7名。すべての講師のレッスンを全クラスが受けられるよう時間割を組むのは大山先生の担当。学園の様々な人が一つになれるのも、SSSの底力と言えるかもしれない。レッスンはその人らしさがでるテーマで構成。例えばジャック先生は、エンジニアとしてチェルシースタジアムの建設に携わっている強みをいかしてBritish architecture。ジャック先生の得意分野から生まれたアクティビティもある。何人かのチームに分かれてスパゲティとマシュマロでタワーを作ろう、という内容。レッスンからアクティビティに至るまで隙のない準備にSSSの片鱗が伺える。女王陛下や首相が参列する戦没者慰霊祭で歌唱した経験のある元プロの歌手でもあるアレクシー先生はUK MUSICをテーマにしたレッスン。パブリックスクールの現役歴史科教師でありハウスの副寮長でもあるトリスタン先生は、Island Mentality で、共に島国であるイギリスと日本の精神性を考えるレッスンを行うなど多彩。いずれも既成のテキストを使うのではなく、各講師オリジナルの内容。
SSSのミッションは変わらない
先述のような事前のレッスン案作成はもちろん、期間中も早朝から深夜まで、レッスン、レッスンの振り返り、翌日の準備、ダイアリーのチェックなど講師陣は一日中、フル回転だ。天気予報をにらみながらスケジュールを微調整したり、毎日のミーティングで個々の生徒の英語力に応じた問いかけ方やレッスンの展開の仕方を共有したり、「チーム」のきめ細やかな対応は全て「参加する生徒のため」がSSSの魅力。実は講師の報酬は、彼らの経歴、職業からすれば決して多くはないという。それでも彼らが「是非に」とSSSに来てくれるのはなぜか。岡田先生は言う。「彼らは、教師という職業は選ばなかったけれども、子どもたちの人生のために何かできる仕事のひとつが教師であることを知っているからだと思います」。続けて「お金では動かないでしょう。自分たちが大人にしてもらったように、自分たちも子どもたちのためにしてあげたいと考えているのだと思います」
マインドセットを育てる
ダイレクターのオリー先生は、二年目を迎えた今年も「生徒の、これまでの考え方を変えるマインドセットという、SSSのミッションは変わらない」と言う。例えば、昨年のSSSで英語のレッスンを理解できなかった悔しさから一年間、英語の勉強をがんばって今年も参加したという生徒がいる。彼は日々少しでも英語に慣れようと、ネイティブ教員が英語で話している横にさりげなく近寄り会話に耳をそばだてていたという。また昨年のSSS参加者の多くは、それが一歩踏み出すきっかけとなり、この夏のイートン校サマースクールに参加したという。コミュニケーションすることで、自分の殻を破って外のおもしろい世界とつながれることに気づくマインドセット(グロースマインドセット)を育てるために、すべてのレッスンやアクティビティをセッティングしていると自信を見せる。
世界最強のチーム
講師は3つのレッスンを受け持ち、5クラス全てでレッスンを行うが、蓼科で出会う前から、お互いを知ることは始まっていた。イートン卒のギャップイヤー生が来日したときに生徒にインタビューし、それを英国に届け英語力を知っておいてもらったこと、講師陣のビデオイントロを見せたこと、講師陣は事前に生徒の顔と名前が一致するように用意していたこと。今年は新たに、ビデオイントロをテキスト化し生徒に配布した。ただのプリントではなく、一部、空欄を作り、ビデオを見て完成させるというもの。またその経歴を読み講師への質問を3つ考えてきて、SSSの間にその答えをさがすという課題も出していた。
その上で蓼科に到着。初日は八子ヶ峰ハイキング。2日目からいよいよレッスンのスタートだ。事前に与えられた日本文化についての質問に対してプレゼンテーション、フィードバック、再度プレゼンテーションという構成にも、短時間で修正を導く講師陣の力量が表れるそうだ。これで講師と生徒の距離は、かなり近づいてくるというが、SSSで講師がさらに魅力を発揮するのが、モチベーションカーブだ。これまでの人生を振り返り、成功したとき、目標を達成したとき、挫折したとき、失意のとき・・、赤裸々に語る、とても人間味あふれる50分間。「大雪山で熊に襲われそうになった」「その頃、皿洗いの仕事をした」「他の人と違って僕は天才ではなかったから一生懸命勉強した」「仕事とプライベートのバランスは大切だ」。イートン校を経てオックスフォード大学やケンブリッジ大学に進んだエリート達の挫折や人生の選択が生徒に共感をもたらす。この時間が、英語のなかにいる居心地の悪さをほぐし、その後始まる、講師陣の得意分野でのレッスンへの期待と心構えを作っていくために大切な役割を果たしているようだ。こんなレッスンが個性豊かな講師7人分。なんと贅沢な。
前のめりになる生徒
モチベーションカーブでは、トリスタン先生が“Try again again and again ”というシンプルなことばを重ね一人ひとりに語りかけると生徒も前のめりになっていくのだが、それに続くレッスンでも、ぎこちなさが残るものの、生徒が講師に次第に引き込まれていくのが、表情が豊かになり発言しようとする姿勢からも伺える。さらにこの日は、スポーツで緊張を解きほぐすのを狙ったサッカー、ラグビーのスポーツアクティビティが2時間。近くの芝生の公園に移動して、広いフィールドでボールをつないだり体が触れ合ったりするうちに無心なまま言葉(英語)を理解し、心もリフレッシュしていくのだろう、縮こまっていた生徒の塊が徐々に崩れて輪になり、ゲームを楽しみ始めるのに、さほど時間はかからなかった。
レッスン中にも、メダルやお菓子の景品を配るなど、緊張をほぐす瞬間がさりげなく盛り込まれているし、“fantastic”というほめ言葉が頻繁に聞かれる。生徒は感情表現がうまい生徒ばかりではないので、喜んでいるのか恥ずかしいのか、見ただけでは分からないこともあるが、岡田先生は気にしていない。この先「あの夏のSSSは、よかった」と思い出してくれればそれで良いし、ここでの経験が、何らかの次の行動に繋がると考えているからだ。
ノア先生のディベートで、生徒がイーブンと判定したものを、ノア先生は、講師側で用意したヒントカードに自分の言葉でより多くの意見を加えていた組を勝ちと判定したという。岡田先生は、コミュニケーション力を高めるということはまさにこういうことだと生徒に感じて欲しいと話す。同校HP「巣鴨の今」に各日が紹介されているので、ぜひご覧いただきたい。
毎日変わっていく、成長する自分を感じる
夕食後は、日課のダイアリー、そして就寝前の歌。
ダイアリーは、今日何があったか、面白かったこと、その理由、やさしかったこと難しかったこと、その理由を講師の問いかけで思い浮かべたら、そこからは一気に書きたいことを自由に綴る。単語で迷ったら質問する生徒もいるし、講師も気になるところでは声を掛ける。
毎日、講師は全員のダイアリーを読み、赤ペンを持って添削するのではなく、最後に一言コメントを添えて返す。ダイアリーを通した講師と生徒の交信といえるだろうか。岡田先生は、文法のミスは個別に直さないよう依頼していると語る。文法に間違いがあっても言いたいことの90%が伝えられているなら、今は良しとする。これはレッスンでの声の掛け方を、個々の英語力によって工夫するのと相通ずるのだが、生徒の「できる」という気持ちを大切にする(できない気持ちを残さない)ため。但し、間違いはそのままにせず、全体のミーティングで一斉に指導することにしている。SSSでは、ある段階まではコミュニケーションできることを優先し、正確さ、流暢さはそれからで良いと考えているからだ。最終日には、ダイアリーが最もよく書けていた生徒、そして一番伸びた生徒を表彰したという。そのことを知らないまま、今の自分の気持ちを伝えたいと一生懸命、競うように書く、生徒の筆圧の強さ、とにかく書いてみるスピードは純粋だ。毎晩、みんなで合唱するoasisも日ごとに声が出るようになっていったのは、他ならぬ生徒自身が一番よくわかっているはずだろうし、そんな自分の内なる変化を大切にしてほしいと思う。
刺激的な時間
これが8月22日、早朝の新幹線で現地入りし同行したSSS3日目。
学園の施設「蓼科学校」と、宿泊・レッスン会場をかねる「立科ユースホステル」二会場を移動しながら英語のみのレッスン見学、アクティビティは屋外スポーツという1日。モチベーションカーブを経て、様々なテーマに触れ始める3日目は、生徒は緊張が解けて好奇心がモゾモゾと動き始めているのに、溜まってくる熱量をどう発散したらよいのか、最後の迷いがまだ少し残っている、とでもいった風情だ。取材を終えて頭と体は疲れているのに、その夜はなかなか寝付けなかった。翌日は同行の予定もなく、ましてや自分はレッスンを受ける生徒というわけでもないのに、頭の中で「明日はどんなレッスンがあるのだろう、楽しみだ」と勝手に妄想していた。今、取材メモを振り返ってみると、まるで授業を受けたノートのようなページばかりが残っている。告白する、リポートという仕事を忘れて生徒になっていたことを。
今回、イートン校サマースクール経験者の先輩がサポートメンバーとして参加した。もともと海外大学進学を考えることはあったが、イートン校での経験が背中を押してくれ、高2でクライストカレッジに留学し、そのままオックスフォード大学にこの9月に進学するという。そのハヤト先輩に、このSSSの魅力を聞くと「講師の人格」と即答。そうか、授業を受ける生徒になりきってしまった大きな理由は、それか。4日目以降のレッスンも見たかった(正確には“受けたかった”だが・・・)。
学園には生徒の数だけの好奇心が存在する。それを刺激する、さまざまな経験と多くの出会いが中高時代の宝物。改めて私学の魂に触れた思いがする。