考えるトレーニングが哲学教育。一生物の思考力を育む
教育ジャーナリスト 中曽根陽子
100年以上続いた男子の伝統校から、東洋大学附属の共学校として生まれ変わって4年。志願者・入試偏差値ともに急上昇の人気校になっている東洋大学京北中学校。中でも注目すべきなのが「哲学教育(生き方教育)」だ。これを教育の柱に据えた理由と取り組みを、石坂康倫校長先生と哲学教育推進部長の石川直実先生に聞いた。「哲学教育」は、AI時代を生きる子どもたちにどう生かされていくのだろうか。
古くて新しい「哲学」 建学の理念に立ち返り新しい学校を作る
都立桜修館中等教育学校の立ち上げを担当、都立日比谷高校の校長を務めた石坂校長。新しい学校を立ち上げるという重責を引き受けて、飛び込んだ初めての私学が、伝統男子校。その学校を大学附属校化・共学校化してスタートした、今の東洋大学京北中学高等学校(東京都文京区)です。
新しい学校を作るにあたり、まず手がけたのは建学の理念に立ち返ること。なぜなら、それこそが公立校にはない私学の財産だから…。同校の場合、それが「哲学」だったのです。
学祖である井上円了は、近代化に邁進する明治時代、実学が重視される強い流れの中で、「諸学の基礎は哲学にあり」と言い、あえて哲学を教育の中心に据えた学校を作りました。ですが、時間の流れとともに、校内にはその理念を言葉にする人がいなくなってしまいました。しかし、哲学はすべての学問に通じるものであることから、「哲学という言葉が、当たり前に使われる学校にしたい」と考えたと石坂校長。
とは言うものの、哲学というと、なにやら難しいことを考える学問というイメージを持つ人も多いのでは…。すると、「要は考えるトレーニングをするということです」という返事が返ってきました。なるほど、考えるトレーニングと聞けば、哲学が俄然身近なものと感じられてきました。
人生の支えになる考え方の根っこを育てる
今、世間でも再び哲学が注目されています。その理由は、経済至上主義で快適さとか物質的な満足を追求してきた結果、自然破壊による環境問題など解決方法が簡単には見つからない課題が山積し、さらにAIの登場で人間の役割が問われている時代に突入し、私たちは生きる意味とか幸せとはなにかという問いに向き合わざるを得ないからかもしれません。「正解のない時代に何も考えないでいると、どこに向かうかわからないまま『バスに乗り遅れるな』と追い立てられ、『みんながいくからそっちにいく』と流されかねない」と石川先生。
哲学とは、生き方を追求し、なかなか見えない真理や真実を探究する学問。哲学を意識して考えるトレーニングを積むことによって、全ての学問に通じるものの見方ができるようになり、その結果、自分の生き方を考えるようになる。さらに、真理を探究しようという学びの精神を身につけていくことができるのです。
考える力ということでは、2020年度から順次施行される新学習指導要領でも、思考力・判断力・表現力の育成が謳われ、探究がキーワードとして使われています。しかし、だから哲学を柱に据えた訳でも無いようです。
「時代が変わるから○○力が必要という、社会の要請に応えることも大事だけれど、個人としてしっかりと地に足をつけて生きていくためには、物事を俯瞰してみる力が大事。生徒たちの視野を広げて、視座を高め、卒業した後の長い人生の支えになる態度やものの見方、考え方の根っこを育てたい」というお二人のお話には、私も強く共感しました。
頭で考えるだけではない。体験を大切にして、言葉に血を通わせる
具体的には、どんな取り組みをしているのでしょう。東洋大学京北では中学3年間「哲学」の時間を必修科目に据えて、土曜の4時限目にクラスごとに一斉に授業を行っています。持ち回りですべての教員が担当。チームティーチングで、それぞれの専門を生かしたオリジナルの哲学の授業を行います。例えば、生物の教員が担当した授業では、オリジナルの生き物を想像して分類し、その後対話をするというもの。創造性はもちろんのこと、分類の視点はさまざまで、内面にあるものを顕在化する授業になったそうです。
毎回違う先生が担当するので、3年間で30人の先生の授業を受けることになります。生徒は、多様な分野のさまざまな論点に触れ、問いを立て、考え方の違う他者と対話することを通じて視野が広がると同時に、経験を積むほど頭が柔らかくなり、常識にとらわれずに考える力がつきます。
同時に、教える側もかなりの時間を費やして準備をするので、教員も育つのが副産物だとか。今では折に触れて先生方が哲学という言葉を口にするようになったそうです。
1回の授業でできることは限られていますが、教員が哲学的になると全ての教科の中で哲学的に物事を考える文化が生まれ、生徒は学校にいる間にその空気を吸いながら、視座を高くして考える力が培われていくのです。
他にも、必修科目「国語で論理」や「哲学エッセーコンテスト」。希望者が選択する「哲学ゼミ」や「刑事裁判傍聴学習会」など、さまざまな機会を通して、考えるトレーニングを積み重ねていきます。
「大事にしているのは、体験を通して五感で学ぶこと」だと石川先生。中3から高3までの希望者が参加する哲学ゼミ(合宿)では、これまでに震災から4年目の現地を訪ねて対話をしたり、沖縄で遺骨の収集に参加し、基地問題について話を聞き、戦争の現実を生で体験したり、熊本の赤ちゃんポストを設置する病院を訪ねた後に、生徒が自主的に児童養護施設や乳児院を見学し、生まれてくる命をめぐる対話をしたりと、実体験を通して五感で感じることで生まれる意見と、自由な発想で議論を深め、最終的に論文にまとめていきます。
頭で理解するだけでなく、情緒を育てるのは簡単なことではありませんが、体験に勝るものはありません。こうしたさまざまな体験を通して心を揺さぶられた生徒たちには、きっと何かが積み重なっているはず。実際、1年間で見違えるほど成長すると石川先生。
「あなたにとって『哲学する』とはどういうこと?」という問いに対して、「人の考え方がわかる時間」「自分と向き合える時間」「当たり前だと思っていることを浮き掘りにし、新たな視点から物事を見ていく時間」「自由になれる時間」など、かなり本質を捉えた感想を述べている事からもその成長が伺えます。
AI時代だからこそ、哲学だ!
2025年には、国内の子どもの数が激減し、超高齢化社会が到来。2045年にはAI(人工知能)が発達し、人間の知性を超えるシンギュラリティが起こるとも言われています。子どもたちが大人になって社会に出ていく時、彼らを取り巻く環境は大きく変化しているでしょう。
その時により良く生きるためには、どうしたらいい選択ができるかを自分で考えて判断し、決断して行動に移す。さらに選択肢がなければ自分で作り出す。そういう力やマインドが不可欠。しかしそれは、一朝一夕でできるようになるものではありません。だからこそ、日々の生活の中で思考のトレーニングを重ねることが大切なのです。
「知識は豊富で評論をするが行動できない人材ではなく、行動できる人材を一人でも多く育てる。そのために、哲学を全ての教科・指導に活かし、生徒の心にすんなりと入っていくものにしたい。成果を急がず、植物を育てるようにゆっくり年輪を重ねるように学校作りをしていく」という石坂校長。その思いは、4年経って、確実に学内に根付いていっているようです。
大学合格という目先の結果を追うのではなく、人としての基盤を育てることに舵をきった学校。それが東洋大学京北中学高等学校。哲学教育の答えが出るのは、一人一人の人生の中かもしれませんが、「自分で問いを立てて考える習慣」というのは、どんなに時代が変わろうと色あせない、一生物の財産になると思いました。
同校では、「哲学教育」思考・表現力入試を実施しています。思考力入試を実施する学校が増えていますが、他校と一味違うのは、課題に対する問いを立てるというプロセスが入っているところだと思います。
日頃子供の「なぜ?」「どうして?」という素朴な疑問にすぐに答えを出すのではなく、一緒に「どうしてだろうね」と探究することを楽しむことが合格への一歩かもしれません。
●中曽根陽子/教育ジャーナリスト、マザークエスト代表
教育機関の取材やインタビュー経験が豊富で、紙媒体からWEB連載まで幅広く執筆。子育て中の女性に寄り添う視点に定評があり、テレビやラジオなどでもコメントを求められることも多い。海外の教育視察も行い、偏差値主義の教育からクリエイティブな力を育てる探求型の学びへのシフトを提唱し、講演活動も精力的に行っている。また、人材育成のプロジェクトである子育てをハッピーにしたいと、母親のための発見と成長の場「マザークエスト」を立ち上げて活動中。『一歩先いく中学受験 成功したいなら「失敗力」を育てなさい』(晶文社)、『後悔しない中学受験』(晶文社出版)、『子どもがバケる学校を探せ! 中学校選びの新基準』(ダイヤモンド社)など著書多数。ビジネスジャーナルで「中曽根陽子の教育最前線」を連載中。
オフィシャルサイト http://www.waiwainet.com/
マザークエスト https://www.motherquest.net/