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コラム

なぜアクティブラーニングなのか?(2)

なぜアクティブラーニングなのか?(2)
教育ジャーナリスト 後藤 健夫

今回は、前回のなぜ、アクティブラーニングなのか?」に続いて、「アクティブラーニングとはなにか」を解説します。
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アクティブラーニングはいつごろから話題になり始めたか

私が「アクティブラーニング」を初めて聞いたのは、もう10年近く前、2008年のことです。

東京大学駒場キャンパスで開催されたシンポジウムにおいて初めてその言葉を聞きました。さすが東大です。早かったです。この時、アメリカの大学で全講座をアクティブラーニングにしたという報告があり、東大でも日本棋院が提供する「囲碁講座」などがアクティブラーニングにあたり、東大の教養学部でもアクティブラーニングを増やしていきたいとのことでした。アクティブラーニングをどう定義づけていたかは忘れてしまいました。つまりそのぐらいの関心しかなかったのです。「学生主体の授業」「学生が能動的に活動する授業」ぐらいの意味合いで使われていたのだと思います。東大の教養学部では2007年度には既にアクティブラーニングを展開していました。東大は2007-09年度に文部科学省現代的教育ニーズ取組支援プログラム(現代GP)において「ICTを活用した新たな教養教育の実現 – アクティブラーニングの深化による国際標準の授業モデル構築 – 」として採択されています。

文部科学省の中央教育審議会やその部会が答申や報告書のなかにアクティブラーニングについて書かれはじめたのもその頃です。

「学士課程教育の構築に向けて (審議のまとめ)」(中央教育審議会大学分科会 制度・教育部会 2008年3月25日)には、学士課程における教育方法として、「学習の動機付けを図りつつ、双方向型の学習を展開するため、講義そのものを魅力あるものにすると共に、体験活動を含む多様な教育方法を積極的に取り入れる」とし、その具体的な方策として

「学生の主体的・能動的な学びを引き出す教授法(アクティブ・ラーニング)を重視し、例えば、学生参加型授業、協調・協同学習、課題解決・探求学習、PBL(Problem/Project Based Learning)などを取り入れる。大学の実情に応じ、社会奉仕体験活動、サービス・ラーニング、 フィールドワーク、インターンシップ、海外体験学習や短期留学等の体験活動を効果的に実施 する。学外の体験活動についても、教育の質を確保するよう、大学の責任の下で実施する」

と記載しています。

このように、そもそもアクティブラーニングは大学発なのです。

アクティブラーニングとラーニングコモンズ

大学では、2000年代初め頃から、「ラーニングコモンズ」と呼ばれる施設が注目されるようになりました。チームで議論ができて発表もできるような共有スペースです。アクティブ・ラーニングを展開するためには有効な施設です。当初はアクティブラーニングとラーニングコモンズはセットで語られることも多くありました。ラーニングコモンズによってグループでの議論や発表準備がしやすくなるからです。

私は、2003年4月から3年間早稲田大学法科大学院設立のために常勤嘱託職員として早稲田大学に勤めています。2004年4月には法科大学院が設立されて授業が始まりました。大学の努力によって個人の学習スペースを確保していましたが残念ながら学生が議論をしながら学ぶスペースが十分ではなく、それは空き教室を貸し出しても追いつかず、廊下や踊り場に学生たちが集まって議論する風景が日常的でした。なにしろ法学の基礎的な理論を解釈するには、基本書と呼ばれるような教科書を読んだところで初心者には何を言っているのか理解し難いところがあり、議論しながら、あるいは理解している学生が教えながら理解していくことが手っ取り早い方法だったのです。ですから、そういった学び合い、教え合い、議論しながら学ぶスペースがたくさん必要となったのです。

早稲田の法科大学院には、法学部以外の出身者や社会人が多くいました。彼らはこうして議論を繰り返して法学の概念を理解して知識を定着させていったのです。また、法科大学院の授業ではチームで発表したり、リーガルクリニックのように弁護士の指導のもとに実際にチームで事件を扱うような科目が設置されたりしていましたから教室を貸し出す程度では追いつかなくなったのです。

いまでは早稲田もラーニングコモンズが大いに充実しています。

ほかにも立命館大学の大阪いばらきキャンパスは茨木市との共有スペースであるコンコースを含めて、キャンパスまるごとラーニングコモンズであるがごとく、あちらこちらにコモンズスペースが展開されています。また、大雨災害を受けた白鴎大学では、浸水した図書館の一部を思い切って書棚を外して、ラーニングコモンズにしました。

多くの大学にラーニングコモンズがありますが、このスペースがサークルの打ち合わせや単なる「ダベリ場所」になってしまってはいけません。ラーニングコモンズを有効に活用できるような授業の展開、つまりアクティブラーニングが大学でも求められているのです。

一方で、いまは国立大学にも「アクティブラーニング型教室」ができています。この教室、ほかの教室とどう違うのか。いまやどこの教室でもプロジェクタが設置されていることから考えると、違うのは机と椅子ぐらいでしょうか。とはいえ、その机と椅子も、固定ではなく可動になっているだけであまり代わり映えがないです。設備でアクティブラーニング型授業に転換できるのであれば簡単なことです。机と椅子に投資をすればいいだけのこと。でも、そうはいかないわけです。逆に、マインドセットを変えることが大切であり、どこの教室でも多少の不自由があったとしてもアクティブラーニング型授業は展開できるはずです。現に、教室の形態に不自由を感じながらもアクティブラーニング型授業を展開している大学教員も少なくありません。そして、ほとんどの机と椅子が可動式である、小学校、中学校、高校では、普通の教室を「アクティブラーニング型教室」と呼べば、アクティブラーニング型授業が展開できるのでしょうか。

実はこの冗談のような話も当たらずも遠からずなのかもしれません。

アクティブラーニングの定義

さて、アクティブラーニングの定義がよくわからないといった話をよく聞きます。それもわからないでもないです。なぜならば文部科学省においてもこれまでにさまざまな説明をしているからです。ただ、それは、対象が大学なのか、高校や義務教育段階なのかによって異なった表現をしています。先述の「学士課程教育の構築に向けて (審議のまとめ)」を見ていただいてわかるように、当初は「学生の主体的・能動的な学びを引き出す教授法」と字義通りでわかりやすものでした。

しかし、文科省の思惑があったのか、「協働的」であることを初等中等教育では求めています。

次期学習指導要領を改訂するにあたり、当時の下村博文文部科学大臣は、「初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について(諮問)平成26年11月20日」のなかで、「「何を教えるか」という知識の質や量の改善はもちろんのこと、「どのように学ぶか」という、学びの質や深まりを重視することが必要であり、課題の発見と解決に向けて主体的・協働的に学ぶ学習(いわゆる「アクティブ・ラーニング」)や、そのための指導の方法等を充実させていく必要があります」とアクティブラーニングを説明しました。

協働的に学ぶこと

協働的に学ぶ、つまり協力して働くこと。目標に向けて力を合わせて活動することを表します。

さて、数年前に、北城恪太郎さんにインタビューをする機会を得ました。そのときの内容を少し長いですが引用します。


“日本が産業、経済において、欧米へのキャッチアップを果たした30年程前から、既に育成すべき人材像は転換を迫られている。それまでは産業界を中心に、欧米に追いつけ、追い越せの掛け声とともに、既存の知識の習得が重視されていたが、先進国の仲間入りを果たした以上は、それらを活用して新たなものを作り出す力が問われるようになった。以降、新卒者に対しても、企業からは自ら考える力や創造力、それに論理的思考力や課題発見能力、また、独創的なアイデアを実行に移す行動力や、それらを成し遂げるための熱意などが求められるようになってきた。また、グローバル化の進展に伴って、異なる背景を持つ人々との協調性やコミュニケーション能力、いわゆるチームワーク力、仲間や部下に気持ちよく働いてもらうための説得力なども加えられるようになった。”
(「教育人会議 2013年春号
http://frompage.pluginfree.com/weblish/frompage/8356702600/index.shtml?rep=1 )

ここで、北城さんは、いわゆる「学力の3要素」を含めつつ、「チームワーク力」、つまり「協働」が重要であることをおっしゃっています。そのチ−ムワーク力は「異なる背景を持つ人々との協調性やコミュニケーション能力」であり、これは問題解決のためにはとても大切なものです。

「正解のない問い」とよく言われますが、この問いを導くためには独りでは難しいものが多く、しかも利害対立を起こすものもあるので、異なる背景を持つ人との協調性は大切であり、そのためのコミュニケーションも必要だということです。

これまでみてきたように、アクティブラーニングは、主体的に能動的に学ぶものであり、授業は教員が教え込むという「一方向ではない」スタイルで行われるものです。どのように学ぶかと言えば、生徒同士、生徒と教員といったように、双方向に学ぶわけです。そしてその在り方は協働なのです。

文部科学省が、アクティブラーニングに、主体性や能動的に加えて、協働性を組み入れたことはごく自然なことのように思います。

そして「主体的・対話的で深い学び」へ

ここのところアクティブラーニング型の授業というものをよく拝見します。

ただ、残念なことに、授業がイベント化していたり「やっただけ」感しか残らないものも散見します。形式的にアクティブラーニングっぽいものをやってみるものがいくつもあります。とても心配しています。これであれば一方的に教え込む授業のほうが知識を強引にでも植え付けるだけいいのかもしれません。こうした「なんちゃってアクティブラーニング」が蔓延することはいかがなものかと思う。深い学びにはとても到達しない、浅い学びでしかないです。

そうした授業に共通することは、教員が組み立てたアクティブラーニングっぽい手法に生徒が乗せられて展開するものです。学習者に主体はなく、教員に右に左に動かされるだけで、なにかを思考したとしても形式的な思考で、対話もその作業のためのものになっています。振り返りもしないので経験を一般化することもなく、そこから探究心が生まれることもありません。知識も散乱するだけで構造化されず、そこで学んだ以上のものを得られるわけではありません。

ここで問われることは教員がどのような「問い」を発するか、あるいは生徒にどのような「問い」と捉えさせられるかではないかと思います。生徒がもっと知りたいと思ったり、対話から生徒が自分の意見を高めていったりするような問いかけを、教員がいかに発するか、あるいは生徒同士の対話の中からそれを見いださせるか、そんなことが求められているかと思います。

ディベートと対話

最後に、対話についてディベートとの違いから述べます。

これは京都大学の山極壽一総長がおっしゃったことですが、深く感銘したので、ことあるごとに紹介しているものです。

「ディベートは自分の意見を曲げたら負けである。対話は自分の意見を変えて高めていくものである」

ディベートは、論理的に思考したり相手の立場で考えたりするためにはとても有効なトレーニングです。このディベートの力を対話で活用できたら「正解のない問い」に最善解を導き出せるようになるのではないでしょうか。

社会はますます複雑になります。さまざまな利害が対立する中で、よりよく生きるためにも対話を重視して、深く学ぶことが求められています。

後藤 健夫 [教育ジャーナリスト]

大学コンサルタント。1961年生まれ。南山大学 経済学部 卒業後、河合塾に就職。その後、独立して、有名大学等のAO入試の開発、入試分析・設計、情報センター設立等をコンサルティング。早稲田大学法科大学院設立に参加。元東京工科大学広報課長、入試課長。現在「大学ジャーナル」編集委員、森上教育研究所 アソシエイト、Pearson Japan K.K 高等教育部門 顧問ほか。