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コラム

女子バレーボール黒後愛選手。「学校から世界へ」インタビュー①

飛躍の鍵は進路へのこだわり。自分で選ぶことで覚悟ができた。~競技との出会い~(1/4)

記念すべき第1回に取り上げるアスリートは、今春の春高バレーでも大活躍を見せた下北沢成徳高校の黒後愛(くろご・あい)選手です。「競技との出会い」から「これからのこと」、部活や学校生活を通じて得た貴重な経験など多くのお話を伺いました。【取材日:2017年1月19日】(文:金子裕美 写真:永田雅裕)

いつ頃からだろうか。10年以上にわたり日本の女子バレーを牽引してきた木村沙織選手(下北沢成徳高⇒東レアローズ/2017年3月に引退)の後継者としてクローズアップされるようになったのは。本人は「まだまだ足元にも及ばない」と謙虚だが、高1のときに2020年東京オリンピックに向けて集中的に強化していく選手で構成される「Team CORE」に選出されて以来、アンダーカテゴリーの日本代表として国際大会を経験。ポスト木村の期待に応えようと懸命に頑張ってきた。下北沢成徳高校の小川良樹監督が「最高の終わり方だよね」と話すように、高校生活最後の大会で2年連続の日本一を成し遂げて、いよいよVリーガーに。そしてシニア(全日本)デビューに期待が高まる黒後愛選手に、これまでの道のりを聞いた。そこに見える成長の鍵とは。

黒後愛選手のプロフィール

1998年6月14日、栃木県生まれ(18歳)。家族全員(両親と姉)がバレーボールにかかわる家庭で育ち、2007年(小3)からバレーボールを始める。宇都宮市立若松原中学校(栃木)に入学後、頭角を現し、2012年(中2)に全日本中学校選抜メンバー入り。2013年(中3)にJOCカップ全国都道府県対抗大会に栃木県代表として出場し、優秀選手賞を受賞した。その後、下北沢成徳高校(東京)に進学。2014年(高1)に2020年東京オリンピックに向けて集中的に強化していく選手で構成される「Team CORE」に選出された。2015年(高2)には世界ユース大会(U−18)に出場。全日本高校選手権大会(通称:春高)では3大会ぶり3度目の優勝を果たし、2年生ながら最優秀選手賞を受賞した。高校3冠を目標にスタートした2016年(高3)は、インターハイを制したものの、国体で準優勝。その悔しさをバネに、高校最後の大会となる全日本高校選抜大会で見事連覇を果たし、2大会連続で最優秀選手賞を受賞。アジアジュニア大会では準優勝の原動力となった。卒業後はVプレミアリーグの東レアローズに入団する。

バレーボールがもっとも身近なスポーツ。

−−−お父様は宇都宮大学の教授でバレーボール部の監督をされています。お母様もバレーボール経験者。そういうご家庭で育った黒後さんにとって、バレーボールを始めることは自然なことでしたか。

黒後 母がママさんバレーをやっていたので、姉がバレーを始めたきっかけは、父母の影響が大きかったと思います。私は、姉(5歳上)の練習について行くうちに、「私もやってみたい」と思うようになりました。小1の頃に「私もやりたい」と言ったら、母に「お姉ちゃんが始めたのは小3だったから、それまで待ちなさい」と言われました。

−−−姉妹を同じように育てたかったのでしょうか。

黒後 そうかもしれません。習い事も同じでした。

−−−何を習っていたんですか。

黒後 ピアノを習っていました。自宅に先生が来ていたので、姉のレッスンが終わったあとに自分も教えてもらっていました。4、5年習っていたので、まだちょっと弾けますよ(笑)。『星に願いを』とか。

水泳もやってました。だからバレーを始めた頃は、週1回のピアノ、水泳に加え、バレーボールの練習が週3、4回入ったので忙しかったです。その後、バレーボール1本になりました。

姉の姿に惹かれて小3から始める。

−−−黒後さんがバレーボールを始めたとき、お姉様は中学生ですから一緒にはプレーしていないんですよね。

黒後 そうなんです。姉の練習について行っていたので、姉がいればそのチームに入っていたと思うんですが、「やるなら強いチームでやりたい」と、自分から言ったのだと思います。母の知り合いの方が指導されているチームが県内で結果を残していたので、姉のチーム(学区の小学校で活動するチーム)とクラブチーム、両方の練習に参加させてもらいクラブチームに決めました。

−−−小3なのにしっかりしていますね。

黒後 いえいえ。バレーボールをやっているときの自分と普段の自分、両方を知っている人からは「違うよね」と言われます。普段はどこか抜けているというか、違う方向を見ているというか(笑)。みんなにお世話をされるタイプです。

姉は真逆でしっかりしています。例えば、姉はピアノが大好きだったので、自分から練習して、先生にもよく質問していました。私は「練習しなさい」と言われなければやりませんでした(苦笑)。姉は勉強もよくできたので、学校では先生に比べられ「全然違うね」「本当に妹?」と言われていました。

−−−強いチームでやりたいと思ったのは、バレーボールではお姉ちゃんに負けないぞ!という気持ちがあったからでしょうか。

黒後 「お姉ちゃんはなんでもできてすごいな」と思っていたので、(比べられても)気にしないようにしていましたが、心のどこかにそういう気持ちはあったかもしれませんね。

−−−小さい時から背は高いほうでしたか。

黒後 そうですね。でも、ジュニア時代は自分よりも大きい選手がいたので裏エースでした。小6の時にグンと伸びてエースの子と同じくらいの身長になりました。

−−−どのくらいあったの?

黒後 170cmくらいです。

−−−小学生でその高さの選手が2人いたらチームは強かったでしょうね。

黒後 小5の全国大会で3位だったので、自分たちの代では日本一を目指して頑張っていましたが、東日本大震災の年で全国大会は中止になってしまいました。