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『shuTOMO9月号』連動企画 数学は、フェアな学問です(2)

『shuTOMO9月号』に掲載しきれなかった「数学のおもしろさ」を3回に分けてお届けする第2回。

洗足学園中学高等学校の平井健先生から聞いた『人間の建設』(岡潔)の話。早稲田大学高等学院・中学部学院長武沢護先生から聞いた古代ギリシア人と数学の話。そこから生まれた座談会。山崎塾塾長山崎幸子先生、首都圏模試センター三瓶勇美さんを交えて、話題は数学からおでん、数学禁止令の出た地球にまで楽しく広がりました。(まとめ/市川理香)

魂の中の疑問をを引き出す

平井:実は私、アキレスと亀の話を自分が中学1年生の2回目ぐらいの数学の授業で聞いたんですが、わかりませんでした。ずっとわからないまま高校2年生のときに、不意に、あのときのあれってこういうことなんだと自分で解決できたんです。その時の授業でアキレスの亀の話をしてくれたわけでもなくて、ずっと自分の中のどこかに、問いのまま残っていたんですよね。与えるべきは問いであるという話があったと思うんですけど、最終的に芽が出て花咲かせるときに自分はいなくていいから、そういう問いをどれだけ生徒たちに与えられるか、あるいは生徒たちがつかめるか、そちらの方がとても大事だなと思います。educationの由来は、ラテン語の「大きくする」「引き出す」。そういう意味で数学は、前提知識がなくても万人が問える学問ですね。
武沢:例えば大学生になって経済や政治を学びますが、ある一定の予備知識がないと深いものが得られません。数学は、極端な言い方だけれども、知識がいらないんです。まさにプラトンのいう想起っていうか、自分の魂の中にある何かを引き出せば、それが出てくるので、やはり小学校の勉強に最適な科目ですよね。家庭環境に影響ない科目は算数ってよく言われますね。国語や社会は家庭での会話、蔵書、観たり読んだりしているテレビ・新聞などが影響するけれど、算数は学校できちんと勉強すれば、万人に等しく学べる、スタートラインが同じ科目だと言いますよ。
平井:最もフェアですね。
武沢:本当にフェアな学問ですよね。なぜかというと、必要なのは人間の理性だけで、前提知識を必要としない。プラトンに言わせると魂で勉強できる科目かもしれないですね。

平井:そうなんですよ。それこそ、古代からずっと続いている学問。その次のアリストテレス、中世の自由七科※3。根源的というか、原始的というか、学ぶべきものとして捉えていたんでしょうね。
武沢:中世の大学の基礎科目ですよね。基礎3科と応用4科。mathematicsってそもそも、「学ぶべきもの」というギリシア語に由来します。その精神をもう一度、数学が復権するといいなと思うんだけれど・・・。
平井:答えが一つ出るという良さもあると思うんですけども、「何だかきれいだな、美しいな」というモヤッとしたものに対して、数学的に表現して自分の中で納得しようとする営みも十分おもしろいと思うんですよね。
武沢:合っているか合っていないかっていうのは、ある面では厳しい。二値的なものだから厳しいんだけど、そこがまたおもしろいとも思うんです。それは我々数学の教員の一つの責務、これからもそうかもしれないです。
三瓶:先ほど武沢先生もおっしゃってましたが、親の関わりも大切ですね。今、自分も父親になって子どもとかかわっていますが、「余計なこと」はしないようにしています(笑)。学校にいくら素晴らしい先生がいても、親があまり上手な関わりじゃないと・・・。
山崎:うまい関わりじゃないと、無にしてしまいますよね。
平井:その子の世界があるわけですよね。
※3:自由七科:文法、修辞学、論理学(弁証法)、算術、幾何、天文学、音楽

「なぜ」という気持ちを大切に

市川:『異世界数学』(松崎有理)の中で、「数学の素質って何だと思う?」と主人公が質問される場面があるんですが、皆さんは数学の素質とは何だと思いますか。
平井:きれいだな、美しいなって思えることかな。
山崎:そう答えること、ありますよね。子どもに数学の何がいいのって言われて、「きれいだから」って、直感的に。
三瓶:好奇心もありますね。
市川:この小説の登場人物は、しつこく考える力と言っています。
山崎:きれいだなと思うからもっとやってみたいと思ってずっとやり続けるんですよね。
武沢:大隈さん(大隈重信。1838-1922。早稲田大学の創立者)が示した早稲田大学の教旨は「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の造就」の三つで、僕はそれを生徒に知的好奇心であると説明して本を読めと言っています。「なぜって思う気持ちを大切にしよう」と中学生によく言いますね。なぜ、どうしてって疑問を持つのはすごく重要であるという話をします。それはアンテナを張っている証拠だし、知的好奇心にもつながるかなって思うんだけど。

平井:中高生は、ゲームのようなハマるものはありますよね。そういう熱量がないわけではないし、集中力はあるんですよね。それを知的なものに向かわせるにはどうしたら良いかと考えます。もう一方で、僕は岡さんの本を読んで、自然発生的なことをすごく大切にしてるなと思いました。以前読んだ池田晶子さん(1960-2007。哲学者)の本に、「みずから」と「おのずから」は違うということが書いてありました。「みずから」はどちらかというと主体的で積極的、意識的に行動している。「おのずから」はやっていたら勝手にそうなった状態。「みずから」ではなく、もっと「おのずから」であるべき、それが本当の個性だ、というような内容でした。個性って何だろう、自分らしさって何だろうと考えている時点でそれは本当の自分らしさではなく周りと比べているのだから、それは自然発生的ではない。子どもたちがゲームにハマっているというのは、良くも悪くも自然発生的です。大事にしたいのは、自然発生的に、ということ。ゲームすらも、時間を持て余して中途半端にただやっているだけっていう子も中にはいますから、それはもったいないなと思いますね。
三瓶:とことん突き詰めて攻略を自分で見つけたら、今度は自分でゲームを作ってしまうとか。
平井:それなら、すごくエネルギーを正しく使っているなというふうに思えるんです。

武沢:能力とかパワーとかは、我々が子どもの頃とあまり変わらないんでしょうね。
もう一つ、僕が『学院雑誌』で言ったのは、イマジネーションです。例えば、一寸法師を漫画や絵で見たらみんな同じイメージだけど、本で読んだだけだとみんな違うようにイマジネーションが必要です。数学も、虚数単位iは、いろいろな定義があるけれども、二乗しても-1になるものをiと定義する。でも二乗して-1になるのは、プラスマイナスの二つあります。だから、「君はプラスの方を考えてるの? マイナスの方を考えてるの? それぞれみんな自由だよ」って話をするんです。定義からしても、その子たちのイメージはスプリットしてるかもしれません。ましてや、僕の一寸法師、君の一寸法師、君の光源氏、僕の光源氏…、そういうものはスマホでは得られないイマジネーションです。幾何学でも、線は長さがあって太さはないので見えない。よく言うんですが、駅のホームで「黄色い線よりお下がりください」って言われても、黄色い線なんかどこにあるんだってことで。イデアですよ。みんな違うイメージを同じものとして翻訳して生きているわけですからね。そういうものが数学ですね。
算数だって2+3=5ってみんなどういうふうに考えるかで、彼らの内に何か二つの球、三つの球があって、「そうか、そうか」って思う子もいれば、「2と3って足せるの?」と思うかもしれない。「ぐちゃぐちゃにしたら大きな1になっちゃう」というような子は、はじかれちゃいますよね、「駄目じゃないか」って。でも、いろんなことを許容する必要があるかもしれない。「それ、おもしろいけれど、どうしてそう思ったの」みたいに。先生の力量が問われますね。

山崎:そういう子、います、います。
武沢
:分数は線形性ですから、人間からすると非常に自然ですね。「1/2+1/3 =2/5って、どう思う」なんていう議論から始めてもいいですね。矛盾に気が付けば理性が働いてきて、コンフリクト(衝突)っていうか、そうじゃないよねって思い始めることが重要ですよね。そういう予備知識を必要としない知的訓練には算数がすごくいいと思うんですよ。もちろん言語、国語も重要です。
平井:僕は、「1/2+1/2 =2/4 、また1/2 だね」ってやっています。今の話をお聞きすると、間違いがそのまま教材になりますね。間違ったときこそ議論のきっかけにして、それの何がいけないのかをみんなで話してみよう、「間違いは悪」ではなくて「間違ってくれたから議論できた」となりますね。
武沢:そうです。
市川:自分の中学校の時を振り返ると、手を挙げて答えたら「間違い」と言われて別の人が正解を答えて、なぜ間違ったかがわからないままできなかったことだけが蓄積して数学嫌いになったのかなと思えてきました。

難しいものを克服する喜び

武沢:例えば物価が一昨年は10%上がって、昨年は20%上がった。さあ、トータルで何%上がったかと聞かれたら30%上がったと思いたくなるじゃないですか。なんだ、君わかってないなあって話になっちゃうと、もうへこんじゃう。でも実は対数関数を取るとうまくいくんです。津田塾の数学科教育でやるんだけれど、世の中でマグニチュードとかpH っていうのは全部logを取って、単位を変換して積を足し算にしているんだって話をすると、ナルホドとなります。マグニチュード3と6って2倍じゃなく指数関数。算数って特に割合が難しいですよね。割合は線形じゃないので線形性をいかに意識させるかは、とても時間がかかります。人間は、基本は線形性を持ってる生き物なんだから、教員が何とかしてあげないとね。
山崎:割合は難しくて。つまずいて嫌いになるとそこで止まってしまうので、嫌いにさせないように教えるのは本当に難しいです。先ほどの10%、20%の例だと、上野にみんながよく行く安売りのスポーツ用品屋を例にして、10%引いてあるものから、さらに20%引いてくれるといくら。30%引きした値段と同じにならないよねというと、大体みんなわかるんですよ。
武沢:中学入試では食塩水の割合の問題ってありますね。頻出かもしれないけど難しいですね。つまり、外延量と内包量※4。外延量は2と3を足して5ができますが、割合は内在されてますから足せませんね。数学の概念はやはり難しいけれども、それを克服して理解できることの喜びってあるんですよね。

※4:外延量と内包量;内包量は割合、速さ、密度など、同種の2量や異種の2量の関係を表す。外延量は長さ、重さ、時間など。時速10kmと時速20kmをたして時速30kmとはしないが、10cmと20cmを足して30cmはできる。割合は内包量なので2割+3割=5割とならない。ただし、2割と3割を比べて、「どちらの方が割引率が大きいかと比較することはできる。


山崎
:他にはない喜びですよね。
武沢:純粋な喜びですね。でも、小学校の算数って難しいんじゃないかなってつくづく思いますね。
山崎:年齢が低ければ低いなりの難しさがあるんですよね。
平井:でも、その問題のための問題みたいなのがあってもいいのかなとは思うんですよね。ただただパズル的なものなんですけど、そういうところから正しい計算ってこういうことかっていう入り方もありかな。特に計算ルールでは、間違っているとどこかで必ず矛盾起こるし。
山崎:絶対おかしくなりますものね。
平井:先ほどの虚数も、「自分たちで計算ルールを作ってみよう」というような感じで導入しています。虚数を学ぶ前段階では、そもそも√-2 ×√-3=√6 って計算は適切ではないですよね。でも、どうやったら無矛盾の世界を作り上げることができるかみたいなことは、数学の大切な姿勢だと思います。
山崎:算数には、独特のおもしろさがあります。

武沢:そうですよね。正多角形の内角の和で、三角形は180度、四角形は360度、五角形は540度ですが、「540度の“角度”って、どう教えるか」と小学校の先生から尋ねられたんです。確かに540度って目に見えないですから。目に見えるのは360度。でも平気で教えているし、生徒たちも別に疑問も持たなくて六角形の内角の和は720度って言ったりしますよね。それで、一緒に考えてみようという話になったんです。小学校の教科書で定義がどうなっているかを調べたら、おもしろいですね。最初、角の定義は「形」って書いてあったんですよ。二つの辺の間の「形」なんです。でもそれが、4年生か5年生になったら、「回転量」。回転量になれば、1周(360度)と180度を足して540度と表せる。一周目が360度、2周目が720度、3周目が…と、ぐるぐる巻いているような感じがあるから「回転」っていう表現にしないと、540度のイメージってわからない。だから、「角って足せるんですか」と疑問に思うわけです。そんなふうに考えると、小学校の教材っておもしろい。
平井:角に加法が入るのかという議論ですね。角の掛け算ってあるのかという話になってくると、数学的にまた違うおもしろさが出てきます。だから子どもたちのシンプルな疑問って意外と本質を突いてるようなところがあるかもしれません。そこから我々はいろいろ勉強します。世の中には足し算できるものと足し算できないものはたくさんありますね。

武沢:例えば時間と時刻は違いますね。早稲田大学の心理学の先生から聞いたエピソードですが、ゼミ生に10時10分前に来なさいって言ったのに遅れてきた学生がいて、「なぜ遅れたのか」って怒ったら、「10時10分前に来いって言ったじゃないですか。今、10時9分ですよ」。発達に特性を持っている学生なんですが、それを考えてみると、10時10分っていうのは足し算できない量、座標と同じなんです。通常10時の10分前というとき、10時は時刻で10分前はベクトルなんですよね。僕らは無意識に時刻と時間を文脈の中で理解しているんだけれど、彼は10時10分前を時刻だと考えていたわけです。
でも、ここにも数学の構造があります。発達に特性を持っていてきちんとする子は、集合時間、集合時刻を言葉通り厳格に受け取ります。そういう日常的なことにも数学の構造がたくさんありますね。

(3)に続く