(後編)心に寄り添う防災を探究し、全国のひとたちとつながる
教育ジャーナリスト おおたとしまさ
みんなで作製してみたダンボールベッド(学校提供)
(前編)英語以上のことを学べる県内唯一の英語科コース
休校期間を逆手にとって活動がスタート
2020年2月末に全国一斉休校要請が発出し、聖和学院も一時休校した。オンラインでもできる教育活動のひとつとして、栢本さゆり教諭が防災教育を提案した。
栢本さん自身、聖和学院の出身だ。2011年3月11日の東日本大震災のときには大学生だった。教職免許取得の課程を終えた卒業間際に、岩手県に教育ボランティアに行き、震災の爪痕を目の当たりにして衝撃を受けた。母校で教員になることはすでに決まっていたが、教科を教えるだけでなく、防災教育をやりたいと、心に決めていた。
まずは専門家によるオンライン講演会を企画し、自宅で学習していた生徒たちにオンラインで参加を呼びかけると、多数が応じてくれた。そこからプロジェクトが生まれた。
聖和学院では、もともと「プレゼンテーション・コンテスト」という名目で、探究活動を行っていた。自分でテーマを選び、それについて調べ、その成果を発表する校内イベントだ。ただし、学校外とのつながりはあまりなかった。
しかし、このプロジェクトでは、学校外のひとの協力を得たり、オンラインで地域のひとたちと議論するイベントを開催したりと、生徒たちの視野が広がったと栢本さんは言う。休校期間という制約の下だったからこそ、学校という枠組みを超えた活動に発展したという逆説が考えられる。中2から高3までのメンバーに聞いた。
世界中の若者の防災意識を高めたい
----具体的にはどんな活動をしているのか。
生徒A 初めは先生が準備してくれた専門家によるオンライン講義に参加するだけでしたが、防災について調べていくうちに、私たちのような若い世代の防災意識を高めたいと思うようになりました。そのためのわかりやすい、楽しい入口づくりを考えようということになりました。非常食が意外においしいことや、キャンプの経験が災害時にも活かせることなどを発信しようというプロジェクトが同時並行で動いています。
----プロジェクトのゴールは何か。
生徒B 全国、あるいは世界中のひとたちが、一人一人が防災意識をもって、いざ災害が起こったときに適切に行動できる状態にすることです。
----これまでの活動で感じたこと、気づいたことは?
生徒C オンラインイベントを開催しましたが、若いひとたちにはあまり参加してもらえませんでした。どうやって若いひとたちに参加してもらうかが今後の課題です。
生徒D 実際にはこの学校の中でもまだ私たちの活動が十分に認知されていません。先輩たちが卒業したあともこの活動を継続していけるように、ほかの生徒たちからの関心を集める方法も考えなければいけないと思っています。
生徒E この活動を通して学校外のいろいろなひとと関わることができています。私は全国の高校生が集まる「SDGsユース」という活動にも参加しているのですが、そこで聖和学院の防災・減災プロジェクトの話をしたら、いろいろな高校生がアドバイスをくれました。ただし、私たちのメッセージをどう伝えていったらいいのか、難しいなとも思います。
生徒F 私はみんなよりも遅れてこの活動に参加しました。夏に行われたみんなの発表を見て、同じ学校で同じようにすごしている友達が、知らないところでこんなにすごいことをやっていたんだということを知って、感動しました。
発表することで自分たちの無知に気づく
「私たちが調べて学んだことをどんどん発信して、災害で命を落とす方を減らしたい。高校生の柔軟な発想が生かせるはず」と意識は高いが、発表会ではむしろ学ぶことが多い。
避難所生活で、体だけでなく心の健康も保つために、乾パンからチーズケーキを作る方法を発表したときのこと。聞いていた大人から「材料としてヨーグルトが必要のようだが、避難所ではすぐに腐ってしまうのではないか」との指摘を受け、そもそも避難所の現実がわかっていないことに気づかされた。
「山から火薬のような臭いがするのが土砂崩れの前触れだと、昔から言い伝えられている」と参加者から教えてもらったこともある。土砂崩れが起こる前は、山の岩が強くこすれ合うからだという。災害の多い日本では、各地域に似たような言い伝えがあるはずだ。その手の昔からの言い伝えを調べてみるのも面白いだろう。
逗子市の住民との対話では、もっと逗子市のことを知ってほしいと言われた。いくら聖和学院生たちがインターネットを駆使して情報を集めて伝えたとしても、逗子市に生まれ何十年もそこで暮らす住民にとっては、「釈迦に説法」になってしまうこともある。むしろ地域の住民の知識や経験を若い世代に伝えるのが、プロジェクトメンバーの役割になるかもしれない。
「あれもこれも調べるよりも、何か一つのことを究めたほうが伝わりやすいのではないか」とアドバイスを受けたこともあるという。私もその印象を受けた。
現在メンバーが取り組む「防災・減災」の守備範囲は、大地震発生時の初期対応から土砂災害への注意喚起、長期間にわたる避難所生活をすごすコツまで幅広い。生徒たちが思い思いに関心を広げていった結果である。
しかしそこに聖和学院らしい視点がないと、探究活動が深まるどころか拡散していってしまうだろう。それがこのプロジェクトの今後の課題だと私は感じた。
多様な立場の心を想像し、寄り添う
そこで、生徒たちとともにプロジェクトを推進する栢本さんに聞いた。
----防災というテーマはあまりに広い。聖和学院らしい取り組みはどんな点か。
聖和学院の校訓は「温順・勤勉・愛」で、熱心なキリスト教信者でもあった創立者は、「愛をもって人に尽くす」ということばを大切にしていました。「自分自身と同じように他者を大切にする」校風の中で、生徒たちは「心ゆたかに生き続ける」ための防災や避難生活について探究しています。
たとえば、なかなか防災に興味・関心をもつことのない同世代に向けたスマホゲームを開発したり、避難生活中は「飴玉が宝石に見えた」という被災者の方の声から火を使わずにつくれるスイーツのレシピをつくったりしています。
学校が逗子市から女性専用避難所として指定されていることもあり、さまざまな立場の方に配慮できる避難所生活を目指して活動しています。
多様な立場の方の「心」を想像し、寄り添う努力をしている点は、聖和学院らしいなと思います。
----このプロジェクトを通じて生徒たちに何を学んでほしいか、どうなってほしいか。
他者に貢献することの大切さ、難しさ、喜びをいっしょに学んでいきたいと考えています。その結果として、建学の精神「神は愛なり」が示す通り、人を愛し、人から愛される人に成長してほしいです。私自身が卒業生として、そう成長できるよう修行の日々ですが。
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コロナ禍で、いつも通りにはできなくなってしまったことも多い。たとえば毎朝のホームルームで歌っていた讃美歌も、いまは歌えない。しかし、聖和学院のこの活動のように、こんな状況だからこそ、可能になったことも必ずある。
できなくなってしまったものをいつまでも嘆いたり、取り戻すことに固執するのではなく、気持ちを切り替えて、いまあるものでできることやなすべきことを考える。そうすれば新しい何かが生まれる。コロナ禍を経験した子どもたちのなかには、そんなメンタリティーが育っているに違いない。
学校だけではない。社会としても、かつての成功体験を手放して、新しい時代を築いていけるかどうかの分水嶺に、いま、私たちはいるのかもしれない。