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男子校の「受験勉強より大事な教え」トークライブを実況中継

2017年10月29日、首都圏模試センターの「最難関模試」の試験会場の芝中学校・高等学校の講堂で、芝、桐朋、武蔵の3校の教員および教育ジャーナリストのおおたとしまさによるトークライブが開催された。テーマはすばり「男子校の教育」。おおたとしまさの著書『名門校「武蔵」で教える東大合格より大事なこと』(集英社新書)をもとに、芝中高の武藤道郎校長(写真左)が司会を務めた。

<パネリスト>(写真・左より順に)
芝中学校・高等学校広報部部長 荒久保聡教諭
桐朋中学校・高等学校広報委員長 河村理人教諭
武蔵高等学校中学校教頭 加藤十握教諭
教育ジャーナリスト おおたとしまさ

武藤 さて、各学校とも、およそ大学受験に関係ない取り組みをいっぱいしてるんです。この点を各校の先生に伺いながら進めいきたいと思います。

加藤 正直申しまして、大学受験に関係ない教育なんて、一つもないんです。あらゆるところで生徒の好奇心を刺激できるような素材をたくさん準備しています。と言えば聞こえはいいのですが、好き勝手にいろんな種をばら蒔くってことを積極的にやっているわけです。よく武蔵は大学受験に関係のない取組をされてますよね、って言われるんですが、その問いはなかなか難しいんです。何かやりたいなと思っている生徒に、「これって実は大学受験には関係ないんだけどね」と教えてしまうと、生徒自身が立ち止まってしまう。それはよくない。ですから我々は、ゴールに向かってどうやったら合格するよという最短コースは封印して、とにかくいろいろやってみなさい、そしていろんな元気を出してみなさい、ということでやっています。

武藤 おっしゃるとおり、大学受験に関係ないことって、ないんです。「およそ関係がない」の「およそ」の部分に含まれている男子校の魅力を探っていただければなと思います。では、なめらかな校風で有名な桐朋中学・河村先生お願いします。

河村 桐朋では、放課後にこんなことやるから、やりたかったらおいでっていう特別講座を毎年1つか2つ開いています。もうずいぶん前ですが、美術の特別講座で「卵を作る」というのを1年間、生徒に混じって私も受講しました。はじめは粘土で卵を作ります。それぞれの個性が出るんですね、ちっちゃな卵を作ったり、でっかい卵を作ったり、担当教員に「それはほんとに卵か?」と笑われるようなものを作ったり。焼成するので中側を空洞にしなきゃいけないっていう技術的な面も必要になります。そもそも卵ってどんなものだろう、と見つめながら作る、素材を実感する、という点が粘土でのポイントだったと思います。次は木工で立方体から卵を削りました。そんな風に、いろんな素材で1年間、ただただ卵を作っていくというのを、私も生徒に混じってやらせてもらったのが、非常に楽しかったのを覚えています。

武藤 なるほど、なめらかなお話をありがとうございました。では芝中学校には「おだやかな」芝中学校についてお願いします。

荒久保 芝学園の根幹として、人間教育ということがあります。だからすべての教科を主要教科にしよう、人を育てましょうということで、情操教育、音楽・美術・技術・家庭科も力を入れています。家庭科は調理実習があるんですけど、はじめにエプロンを自分でミシンで縫います。それを着て調理実習をする、そこから始めます。また中学でバイオリンの授業をします。バイオリンを50台用意していて、中3の終わり頃に合奏します。和太鼓、ギター、沖縄の三線もやっています。中1の11月に音楽祭、合唱祭があります。課題曲を音楽の授業で作曲して、各クラスで作詞します。技術では包丁をつくります。それらが何か一つのきっかけになって、知的好奇心を刺激し、ほかの教科を勉強するやる気にも繋がります。

武藤 ありがとうございました。「およそ関係ない」「なめらか」「おだやか」と来て、おおたさんにまとめていただきます。

おおた それらをまとめると、この本になるんですね(笑)。11月7日に全国の書店に並ぶ『名門校の「人生を学ぶ」授業』の帯に、まさに答えが書いてあります。受験勉強より大事な教え。もっと大きなことを伝えようとしてるんだよと。とういうのがこの学校じゃないかと思います。共通して言えることは、先生自身が面白いと思うことを、いろんな先生がよってたかって、生徒たちにすすめて、生徒たちもそのどこかに引っ掛かってくる。そういう仕掛けをたくさんやっている。それが、およそ受験には関係ないという言い方になるのかと思います。

武藤 おおたさんの武蔵の本に、卒業生の話も出てきます。各学校を出ると卒業した後、どうなるのか。ご子息が高校を卒業された後をイメージして聞いてください。

おおた 麻布の創立者の江原素六は江戸幕府の優秀な幕臣。下級武士の出身ながら登用されるも、革命が起こってすべてを失った。乱世を生きる今、学ぶことが大事なんじゃないかという思いを込めたのが麻布だと言われています。私の個人的な経験として、自分が麻布卒であると強烈に意識したのは、実は30を過ぎてからです。30過ぎて私は会社を辞めてフリーになったんです。最終出社日、どうもお世話になりましたと言って会社を出ると、町は日が暮れたばかりでした。その時の、あの忘れもしない空の高さ。とんでもない広い世界に独りで出てきちゃったぞ、という恐怖心に襲われた。その時思い出したのが、江原素六です。彼もたぶん同じような気持ちだったんだろうなと。大丈夫だ、俺は麻布なんだ、それがすごく勇気になった。卒業して20年30年経った時、この受験勉強より大事な教えがわかってくるんじゃないかと思います。

河村 卒業生が母校を懐かしんで時々訪ねてきてくれます。が、若い卒業生には「何しに来たんだ?」と怒ることにしています。学校を振り返るというのは、過去を振り返ることなので、特に若い連中はそんなことしてる暇ないだろう、今のことやれ、と言ってやります。もちろんお互い笑顔でのやりとりですよ。彼らが話しだす思い出は雑談の話ばっかりで、私が国語で教えたかったことは何一つ出てきやしない(笑)。「雑談」にくくられてはしまいますが、授業の中で語ったことを、あれはよかった、あの言葉が忘れられない、と言ってくれるのは嬉しいですね。結局のところ、中高の教育は、彼らの血となり肉となるものなので、「誰かから教わった知識」という記憶じゃなくていいんだと思っています。気が付いたら自分はこんな大人になっていた、ぐらいの卒業生でいてほしいので、雑談の方を覚えていてくれるのは嬉しく思います。もう一つ。社会に出ると失敗はなかなか許されません。高校の時にこんな失敗しちゃって、と彼らが笑うのは大事なことだなと思うし、男子校っていいですよ、女の子の目を気にせず好き勝手やって大失敗することができるので。

加藤 本校にも行事の際に、卒業生がよく訪ねてきてくれます。彼らと話すと、やっぱり授業の話はほとんど覚えてない(笑)。残っているのは雑談なんです。武蔵に名物教師がいまして、世界史の先生だったんですけど、2学期始まって最初の授業に、先生が来ないんです。雑談どころか、来ない。次の授業には無事に来て、聞いたらその先生は中国を漫遊して歩いていて、帰ってこれなくなっちゃったんだそうです。たぶん確信犯じゃないかな、と思うんですけど……。前回授業を空けてしまった代わり今日は中国の話をしてやる!と言って、その回の授業も雑談で終わりました(笑)。でも生徒たちは、先生が持ち帰った生きた経験談に感銘を受けた、かっこよかった、と言うんです。グローバルな教育が求められている中、我々もいろんなプログラムを提示したいんですけど、我々自身が経験したことのないことはなかなか伝えられない。「自ら考え、世界に雄飛する」などと武蔵の三理想にある通り、まず我々自身がグローバルでなければいけない。と言いながら、私自身なかなかそうあちらこちら出歩いているわけにもいかないわけですが。でもそれは我々教師の伝統として残っているかなと思います。

荒久保 生涯にわたって付き合う本当の友達ができると思います。社会人になると親友ってつくるのが難しいと思います。同じような環境で育った同じ年齢の子が、クラスに集まっているわけなので、本当に仲のいい友達ができて、芝学園の6年間が楽しかったと言って卒業していきます。彼らは卒業して社会人になって、学園祭とかによく来てくれるんですが、その時に近況を話してくれます。面白いことに、彼らは結婚して子どもができると、芝学園に入れたがるんです。そしてまたその子が大きくなって、なんと親子4代が芝に通っている。これを「芝漬け」って言うそうですけど(笑)。そして飼ってる犬もシバ犬だそうです。そんな芝ファミリーがいらして、芝温泉てよく言われるんです。校風が穏やかで楽しい6年間であったことを表しているのではないかと思っています。

武藤 ここでさらにハードルを上げて、今日お集まりの先生方に、先生方がお考えになる各校の想い、これを未来の生徒さんに向けて激励を込めて発信していただければと思います。

荒久保 2020年の大学入試改革をはじめ、教育が大きく変わる時だと思います。これからは個を大切にする教育。たとえばノルウェーだと、入学するのが平均30歳だったりします。社会に出て働いて、将来やっていくことを見つけて、そしてその学問をあらためてやるので。そういったフレキシブルな社会ですが、日本はどうしても画一的なところが残っている。これからはみんな一人一人違うので、一人一人の個性を大事にした教育をしてほしいと思っています。

河村 中学に入学した時点で「中学高校でこんな勉強をし、大学で何々を修めてこんな大人になりたいんだ」という思いのある子はまあいないし、あったところで数年でそんなもの変わっちゃうことはよくありますので、そういう明確な志望はあまり必要ありません。それよりも、ともかく自分の未来に期待を込めた、それこそワクワクする状態で入学してきてほしい。自分は何に関心があり、何に興味を抱くのか、ということを意識する日々を6年間過ごしてもらいたい。そういう意味ではいろんな勉強ができる準備ができています。設備といい人間といい環境といい、どんなところにも負けないものを用意しているつもりではおりますので、「何かができる」という期待を込めて、桐朋に足を踏み入れてもらえればいいかな、ぐらいにまとめておきましょう。

加藤 本校はいま、「学びの水脈と対話の杜」というコンセプトで大規模な校舎リニューアルをしています。敷地内を流れる濯川が本校の伝統の象徴であると考えて、学びの水脈です。また対話がまず人間生活の基本だろうなということで対話の杜です。私学の伝統というのは、人がずっと守ってつくってきたものだと思いますので、やはり人なんだと思います。ぜひともミスマッチにならないために、なるべく足を運んでいただいて、いろんな先生の話を聞いてください。なんとなくここがいいかな、というなんとなく感が生徒たちにとってはすごく大事だと思います。本校にもよろしければ足を運んでいただいて、実際見ていただけると嬉しいです。できるだけ納得して選んで来ていただけるのが幸せかなと思っています。私が出てきたことによって、「あ、やっぱり武蔵やめた」と思われてしまうと残念なのですが(笑)。

武藤 このトークライブは今年で2年目になりますが、私からすると夢の競演のように思うんですね。結びに、おおたさんから3校への激励、お父様お母様への激励、子どもたちへの激励をお願いします。

おおた 何よりも先生たちが自由であり、のびのびいきいき楽しいことをしている、その姿を生徒さんたちに見せる。ここにいらっしゃる先生方の学校に共通しているのは、それかなと思います。教育の原点、何を教えるかじゃなく、どうやって教えるのか。どういう人が教えるのか。そこが非常に重要なのだと。河村先生から「雑談しか覚えててくれないんだよね」ってお話がありましたが、アインシュタインもこんな言葉を残しています。「学校を出て、すべてのことを忘れてしまってもなお残っているものこそが、教育だ」と。学校だけじゃなくて、子どもたちに対して我々大人が後ろ盾になれるように、というのが重要なんじゃないでしょうか。安心して学べる先生がいて、安心して学べる保護者がいて、そういう中でバカをやっていても、片目をつぶりながら見守ってあげる。それが男の子たちを育てていくのが男子校の教育なのかな、と思います。

武藤 最後に、この本(『名門校「武蔵」で教える東大合格より大事なこと』)の中から、武蔵の理事長・根津先生に大坪先生がお話しをされた一説。「きみも知っているように、世の中の流れで多くの高等学校は受験勉強に力を入れていて、みんな向こう岸へ行ってしまった。こちらの岸に残っているのは、もう武蔵だけなんだ」と言われ、「ああ武蔵は取り残されたのか」と解釈されたようです。だけれども、「だから、一校でもいいからこちらの岸に呼び戻さなければならないんだ。何年か前まではこちらの岸に数校残っていたのだが、残念なことだ」というお話が、今回のトークライブを開催しようと強く私が思った部分です。桐朋も芝もそうですが、そちらに向かう、いろいろな教育の中で似ているところも、今日おわかりいただいたと思います。まだ向こう岸には行けてないかもしれませんけれども、向こう岸のほうに向かう船であったり、向こう岸に向かっている途中の船であったりできると、男子教育というか、男の子を育てることに大きな一つのメリット、教育のメッセージを送れるのではないかなと思っています。あっ、忘れてましたが、今、ご子息は模試を受けてるんですね(笑)。帰ってきた時必ず聞いちゃいますよね、「どうだった?」って。でもそう聞かないで、「お昼何食べる?」って聞いてあげてください。「実は武蔵の先生がさ、桐朋の先生がさ、芝の先生がさ」なんてお話を、今日お父さんお母さんが聞いて楽しかったことをワーッと話して、もういいよとご子息が言うまで話していただければな、食卓にそんな話題を振っていただければなと思います。本日はありがとうございました。