学校特集
国府台女子学院中学部2021
掲載日:2021年10月1日(金)
国府台女子学院は、千葉県では数少ない中高一貫の女子校です。浄土真宗(本願寺派)の教えに基づいた仏教精神を礎とし、『敬虔』『勤労』『高雅』を三大目標としています。開校以来、一貫して女子教育に携わり、「面倒見の良い」「在学中に学力を伸ばしてくれる」学校として高い評価を得ています。学校のシンボルともいえる充実した図書館、選択肢が豊富な教育課程も自慢です。その一方で、生徒たちの心を健やかに育む一助として実践されているのが宗教教育です。勉学と心身の双方で成長している生徒たちがどのような成長過程を経ているのか。それを紐解く一端が「仏教」の授業にあります。中学部学年主任であり、中高の仏教の授業を担当する渡邊弓大(わたなべゆみひろ)先生にお伺いしました。
「智慧」と「慈悲」と共に、共感する心を養う
国府台女子学院では週1回、仏教の時間を設けています。その内容は、浄土真宗を布教するものではなく、仏教を通して見識を広げ、他者に共感できる心、自分で考える力をつけるものです。
渡邊先生:「本校では、浄土真宗の開祖 親鸞上人の教えを基本としています。仏教の授業で中学3年間の中で伝えたいのが、基本的な仏教の考え方と、人として最も大切でなおかつ曖昧である『愛』についてどのように理解するかを考えます。より深く学ぼうとする心を『智慧』、喜びや悲しみを分かち合う心を『慈悲』と捉え、共感する力を養うことを第一目標としています」
生徒たちはこの授業をきっかけに、自分の内面を定期的に見つめる機会をもちます。そして、他者への思いやりを育て、日常生活の些細な習慣から「慈悲」を実践できる生徒へと育っていくのです。一体どのような授業内容なのか、次章からご紹介しましょう。
内省により、自分の本当の思いを自覚する時間をもつ
思春期はとかく悩み、迷い、心の問題を抱えがちな時期でもあります。そのようなとき、同校の仏教の授業では冒頭の5〜10分程度、「内省」の時間を設けています。
渡邊先生:「例えば『今週一週間を何があったか、どんなことで喜ばれたのか、次は何をしようかなどと振り返ってみましょう』と促しています。生徒たちも、1〜2年経つにつれ、集中して考えられるようになります。こうして自分の行動を省みる習慣が備わっていくことで、流れのままに行動して失敗したり、失言によって険悪な雰囲気になったりということが減っていくのではないでしょうか」
卒業生に聞いた『国女生活 思い出ベスト3』というアンケートでは、仏教の時間を第2位にあげ、「定期試験直前、勉強で行き詰まった時も、仏教の授業を通じて身につけた『内省』を行うことで自分を奮い立たせることができました」と記載した生徒もいました。
渡邊先生:「内省後の授業は、その日の議題となる問いについて生徒一人ひとりが考え、話し合いをし、思ったことを各々が綴るという形式をとっています。最初は大人が喜びそうなきれいごとを書いていた生徒も続けていくうちに感じたことや思ったことを素直に自分自身の言葉で書くようになっていきます」
同校では、数学や英語、国語の授業などではタブレットなどのICT機器を意欲的に導入しています。しかし、渡邊先生の授業ではあえてそれらを使用しません。
渡邊先生:「この授業では、思ったまま、感じたままを表現することを大切にしています。生徒による作文の中には、思わずうならされるようなものもありますが、それを共有して皆で討論するということはしません。また、何らかの発言を強いることもしません。生徒たちは、ここだけの話として素直な心の内を文章化し、それを私は黙って受け止めます。これを続けると、自然に自分の内面を見つめ、考えをまとめられるようになってくるのです」
渡邊先生はこれに併せて、「聞法(もんぽう)」の教えを伝えています。
渡邊先生:「聞法とは、仏の話や他者の話に真理があるといった意味合いです。まず人の話にきちんと耳を傾けることを重視します。例えば人間関係がうまくいかないと悩んでいる場合でも、無理に話をしようとするのではなく、他者の話をしっかり聞くことができれば、自然とコミュニケーションを図ることができます。話すことは訓練次第で次第にできるようになりますし、聞き上手は話し上手になるための第一歩。だから焦らなくて大丈夫と生徒たちには伝えています」
言葉を知り、考えと表現力を深める機会をもつ
生徒たちはこのような仏教用語に触れながら、自分自身のことを考え、深める時間をもちます。私たちの周りにもある、仏教にまつわる言葉や意味について渡邊先生が教えてくれました。
・「慈悲」について
「慈」という言葉はサンスクリット語でマイトリー、相手を元気にするという意味があります。「悲」はカルナー、他者のうめきや嘆きに共感する力を指します。すなわち、「慈悲」という言葉は、元気を与えて、相手の悲しみに共感しようとする心を表しているのです。
このことから、生徒たちには、人の話を聞く際、特にアドバイスは不要であること、相手の思いに寄り添い、うなずくだけでいい。または相手がつらそうなときにひと声かけるだけで元気が出るものと伝えています。その行動だけで相手を慈しむことになります。その結果、相手から感謝されることで、生徒たち自身の自己肯定感にもつながります。
・「ご縁」について
「出会えてよかった」という気持ちを伝える際、仏教では「ご縁がある」と表現します。「ご縁」というひと言で、「この出会いは素敵だ」「この出会いには何か意味がありそう」などいろいろな意味を内包でき、表現の幅が広がります。
出会いとは、キリスト教では神様からの贈り物、すなわち奇蹟ですが、仏教では必然のことと捉えます。何げない学校生活の中でも、生徒たちがこの学校に入学したこと、いま教室で隣り合って座っていることなど、各々が人生の選択肢の中から選んできたものがちょうど交わっている状態である、つまり、何事にも意味があるのだと説きます。そう考えると、同級生に自然と親近感が湧くでしょうし、だからこそこの出会いを大切にできるのではないでしょうか。
・「諸行無常」について
諸行無常とは端的に言えば、「すべてのものは移り変わること」。ただし、あえて「諸法無我(しょほうむが)」や「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」といった仏教用語のまま伝えることもあります。そうすると、生徒たちは様々な切り口から自身に投影するなど想像の羽を広げ始めます。これも「ご縁」のように、思考と表現の幅を広げる一つのきっかけになります。
生徒なりに考えた答えを各々が提示してくれます。中学生らしく他愛もない内容の生徒もいれば、中学2年生にして、「『諸行無常』と言いますが、移り変わらないものがあります。それは真理です」と伝えに来てくれた生徒もおり、驚かされました。
・「愛」について
授業中に、隣席の子同士で「愛している」と言い合います。我々に促されたこととわかっていても、「愛している」、「好きだよ」と言われるとみんなうれしいもので、自然と笑顔になってきます。それが『慈悲』=元気を与えることである、という話をします。生徒たちは照れながらもこの経験を受け入れていくことで、自己肯定感も高まっていきます。
折々にこのような言葉がけを繰り返すことで、6年間を通じてその時々で自分自身の成長に気づく瞬間、自身の思考が成熟したとわかるときもあるでしょう。同校ではこのような方法で生徒たちの豊かな心を育てているのです。
自分で悩みを解消し、他者にも目を配る優しさが育つ
仏教の授業を通して、自分の内面を見つめ、思いの丈を表現することに慣れてくると、生徒たちが悩みやSOSを発信することがあるそうです。渡邊先生は「前提として『先生の言葉の中に答えがあるわけではない』と伝えます」としつつも、生徒たちの悩みを受け止める際に気をつけていることを教えてくれました。
渡邊先生:「生徒たちの悩みを積極的に解決したり、救ってあげたりということはしません。念頭に置いているのは、『しっかりと話を聞く』、『悩みの根源を整理する』という2つで、とにかく傾聴することを大切にしています。何を悩んでいるのかわからず、しかしモヤモヤを抱えているという場合でも、生徒自身が悩みの原因を把握できると、自分で解決するために考え始めます。そして、いつの間にか悩みが解消できるケースがほとんどなのです。
また、我が校の生徒たちは素直でやさしい子が大半です。自分が受けてきた『慈悲』の行いを、他の生徒と分け合ってくれます」
教員の役割は、きっかけや考える時間を与えること。それだけで自分の頭で考えて悩みをほぐし、他者の悩みに寄り添おうとする心が育っていると渡邊先生は見ています。そうして、自分で解決できた自分、友人に寄り添えた自分を自覚することで、自己肯定感が上がっていく生徒が同校には多いのです。
渡邊先生:「自分に自信をもち、他者に優しく接することのできる状態を私は『心の体幹』ができてきていると捉えています。このコアが鍛えられた生徒は、いい意味で他人を気にするようになります。集団全体に目を配り、協働できるようになるのです。日常生活にもそれは生かされ、普段の掃除当番などでも協力し合いますし、困っていそうな子がいたら声をかける姿も見られます。
人を助けるというのは、それほど大きく構えることではないのです。例えば『おはよう』とちょっと声をかけてみるだけでいい。話を聞いてあげるだけでも、そばにいるだけでもいいのです。そして自分がそれをしてもらったら、『ありがとう』と言おう。日常のささいな心がけで同級生を守ることができるし、自分にもそれが返ってくることもあるからお互い様であるということを生徒たちは理解しています」
他者を理解するための「智慧」と「慈悲」を持ち、希望の未来へ
同校の生徒たちは、中学校の3年間に先述のような取り組みのほか、主に下記のようなテーマで学びます。
中1 花まつりや盂蘭盆会など仏教行事とその作法。仏教や宗教を知り、考えること。キリスト教、イスラム教など世界宗教の概要など
中2 仏教の教義(三法印、四諦八正道など)について。修学旅行先に関連する宗教の話題など
中3 仏教といじめ、仏教とクレーマーなど、社会で起こる事象と仏教を結びつけた話題。各宗教から見た愛についてなど
何よりも宗教観を学んでおくことは、自分や他者への理解を深めると同時に、異文化理解にも近づくことも意味します。
渡邊先生:「外国では、宗教がとても重んじられています。遠く離れた国でも、信仰している宗教が共通していると、親和性があるようです。日本人は『自分は無宗教だ』と思いがちですが、無宗教であることは倫理がないととらえられることもありますし、宗教を知っていることで信頼が得られることもあります。
もし今、『自分は無宗教だ』と思っていても、それは特定の信仰がないだけです。お守りを持っていたり、何かにすがったり、何かを大切に思う感覚が大きくなったら、それが自分の信仰なのです。他宗教を学ぶことで、尊重すべきものがわかります。キリスト教、イスラム教など、いろいろな宗教を知ることを通して『智慧』をもち、他者を尊重できる精神生を養ってほしいと思っています」
同校の生徒たちはこうして、内省を繰り返し、慈悲の心を深めながら、将来を思い描きます。そうして、先生方の手厚い進路指導や個人の志望をきめ細やかにサポートしてくれる教育課程にも支えられ、90%以上が現役進学を果たします。その後、進学先で志望した学問を修め、社会で活躍しています。
基礎的な学力はもちろん、他宗教への理解と共に「智慧」と「慈悲」を併せ持つ生徒たち。彼女たちは、世界中のどこであっても協働し合い、輝かしい未来へと邁進していけるはずです。
寄り添い、思考を深める仏教教育により、心を大きく育てている国府台女子学院。学校見学や説明会などでぜひ同校の生徒たちの様子をご覧ください。