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学校特集

桐朋女子中学校・高等学校2024

未来を見据えた学びが、ここから始まる
卒業生は言います。「勉強に部活に行事に大忙し! その実践を通して自主性や協働性が育まれました」と

掲載日:2024年5月18日(土)

 実践することの意味を自らの心身を通して実感し、知識や感性を高めていく。すなわち、「Learning by Doing」は桐朋女子がもっとも大切にしている教育方針であり、すべてを貫く教育哲学です。生徒たちはさまざまな実践を積み重ねながら、自主性や協働性を育み、主体的に人生を切り拓いていくことができる女性へと成長していくのです。「桐朋女子の6年間から得たものは何か、それが今、どのように役立っているのか」というテーマで、2018年度卒業生(74期/学年色は緑)の山本早さんと栁田ふささん、2020年度卒業生(76期/学年色は赤)の菅原まどかさんにお話を伺いました。
※写真左から栁田ふささん、菅原まどかさん、山本早さん。

●卒業生のプロフィール

山本 早(さほ)さん(2018年卒/74期緑)
東京理科大学薬学部卒。この4月から病院薬剤師として勤務中。中高6年間ハンドボール部に所属し、副部長を務める。中3から高3まではクラス委員も務めた。
栁田ふささん(2018年卒/74期緑)
慶應義塾大学法学部卒業後、東京学芸大学教職大学院に進学。2023年4月から1年間、桐朋女子で代替教員を務める。2024年4月より同大学院2年在籍中。中高ではESS、社会歴史研究部に所属。
菅原まどかさん(2020年卒/76期赤)
東京都立大学都市環境学部観光科学科卒。2024年秋から、海外の大学院に進学予定。中高6年間、バドミントン部に所属。生徒会では議会議員を務めた。

一人ひとりが輝き、かつ団結する心を培う

■思い出を共有し、絆を結んだ仲間たち

「はじめよう。今〜未来につながる6年間を。」
 同校のホームページに掲載されているキャッチフレーズの一つです。12〜18歳という、人格を形づくるうえでもっとも大切な時期をどのように過ごすのか。過程から学びを得る「Learning by Doing」は、アメリカの教育学者ジョン・デューイが提唱した教育哲学ですが、「為すことによって学ぶ」と定義されています。すなわち、生徒一人ひとりが自ら主体的に取り組むことができる仕組みを、同校では50年以上にわたって構築してきました。

 中高6年間、勉強に部活に学校行事にと、みなさんはどのような学校生活を過ごしていたのでしょうか。まず同校での6年間の思い出として最初に蘇る場面を尋ねると、答えはみなさん同じく「部活」でした。

桐朋女子_「山本さんは攻撃の要でした」(ハンドボール部顧問)
「山本さんは攻撃の要でした」(ハンドボール部顧問)

山本さん:部活動の仲間ができたことが一番の思い出です。ハンドボール部は小学校の校舎の前を練習場所にしていて、私は桐朋小学校時代から練習風景を見ていたので親近感があり入部しました。ハンドボール部は週1回の休み以外、日曜・休日もいつも試合や練習試合が入っていて忙しく、練習もとてもハードでした。でも人数も多く、その仲間と励まし合い、長い時間を共に過ごしたことで絆も深まりました。

桐朋女子_ESSでは舞台の大道具・小道具のチームリーダーも務めた柳田さん(右から4人目)
ESSでは舞台の大道具・小道具のチームリーダーも務めた栁田さん(右から4人目)

栁田さん:私が所属していたESSでは、英語劇のミュージカルやストレートプレイ(セリフ劇)を台本作りから音響・照明、大道具製作まで一つひとつみんなで打ち合わせをしながら作っていきます。私は美術が好きなのですが、大道具・小道具チームのリーダーをしていた高2の時に、『トゥルーマン・ショー』の演目で主人公が閉じ込められている世界の場面転換を表現するために、ホームセンターで1m×2mの木材を購入してパネルを作り、縦にしたり横にしたり、模様を裏返したり配置を変えてみたりと、みんなで工夫しました。すごく苦労した甲斐あって、参加した大会で「ステージエフェクト賞」をいただくことができ、みんなで泣いて喜び合ったことを覚えています。

桐朋女子_菅原さんは6年間、バドミントンに打ち込んだ
菅原さんは6年間、バドミントンに打ち込んだ

菅原さん:私も、桐朋女子の6年間で打ち込んだものの一つがバドミントン部の活動です。そんなに強いチームではなかったのですが、勝ち進むためにできることをしようと、1日1日必死で練習していました。予想以上に体力的にも精神的にも厳しい部活だったので、辞めていく人も多くて。私の学年は12人入部して、最後まで残ったのは4人だけ。だから、その苦楽を共に乗り越えた4人の絆はとても強くて、卒業後も定期的に会う仲間です。

 喜びを分かち合ったり、時には悔し涙を流しながら日々の部活に励み、切磋琢磨し合った仲間たちの存在は生涯の財産だと、みなさんは口を揃えます。

■「頑張らないことが恥ずかしい」。それが桐朋女子の風土

桐朋女子_チームカラーの衣装をまとって披露する「応援交歓」は圧巻!
学年色の衣装をまとって披露する「応援交歓」は圧巻!

 部活が学年の枠を超えた人間関係やチームワークを築く場だとしたら、学年の団結力を育む場が体育祭です。同校の体育祭は1年を通じてもっとも盛り上がる行事の一つ。学年対抗で行われ、個人競技だけでなく、学年が一体となる「応援交歓」や、3人4脚、2人3脚、2人2脚、1人1脚でリレーを繋ぐ「足の歴史」、曲に合わせてオリジナルの身体表現をする「団体徒手」など工夫を凝らした団体種目も多く、運動が得意でない生徒でも主体的に取り組める内容になっています。
 下級生が上級生に勝つことを生徒たちは「下剋上」と呼びますが、上級生は団体種目で「下の学年には負けられない」と、どうすれば勝つことができるか一人ひとりが必死に考えるのだそうです。

山本さん:私たちの代の緑はすごく弱かったんです。中3の時に中2から下剋上されて負けたこともあったし。だから高3の時は、最後の学年なのに下の学年に負けたらどうしようって、死に物狂いで練習した記憶があります。私が参加したのは「団体徒手」という種目でした。高2の時に高3に唯一勝った種目だったので、その時の点数を越えようと頑張りました。小学校の校舎の屋上から練習風景をビデオで撮って、動きの乱れがないか確認して指示を出したりしていましたね。

桐朋女子_どの種目でも、生徒たちは必死で戦略を考える
どの種目でも、生徒たちは必死で戦略を考える

栁田さん:私は5年間「綱玉(綱引きと玉入れ)」でした。緑の学年は上下の学年に比べて体格的に劣勢だったので、油断すると負けてしまう。だから私は、高2の冬ぐらいから密かに体重を増やし始め、筋肉もつけて、最終的には11kg増やしました。綱を引く角度や力の伝わり方とかも研究しましたが、最後はやっぱり体重だと思って(笑)。とにかく「負けるわけにはいかない!」という感じでした。

山本さん:大学に入って他校出身の友達から体育祭のエピソードを聞いても、内心では「いやいやいや、そんな比じゃなかったよ、桐朋は」という、謎のプライドがありました(笑)。

菅原さん:私たち赤の学年も小柄な人が多かったので、団体戦の種目はとにかく努力で克服しようとしました。「綱引き」の生徒は、体格では絶対負けてしまうからスピードや瞬発力にこだわろうと、笛が鳴った瞬間に綱を引く練習をひたすら繰り返していました。「障害物競争」の生徒は、ハードルに見立てたセットを作ってお昼休みに練習して。みんな擦り傷だらけになるまで練習して、身体はボロボロでした。私は個人種目の200m走に出場したのですが、各学年で足の速い人たちが集まるので、高1でも5位とか6位とかになるんです。私は少しでも良い結果を残そうと、腰にゴムを結びつけてタイヤを引きずって鍛える練習をしていました。だから、今でもすごく足が太いんです(笑)。

 歴代の卒業生が語るエピソードには、いつも青春ど真ん中のエネルギーが詰まっていますが、桐朋生が体育祭にかける熱量は半端ではありません。その理由について聞いてみると......。

桐朋女子_「世界一の体育祭」の熱量を現す1コマ
「世界一の体育祭」の熱量を現す1コマ

菅原さん:「頑張らないことが恥ずかしい」と感じる校風というか、雰囲気はあると思います。爪の間に砂が詰まっていたり顔中砂だらけにしたりしている女の子がいたら、他校だったら多分モテないというか、気にしてしまうと思うのですが、桐朋女子の場合は逆に頑張っていないのはダサい。みんな必死にやるのが当たり前になっているところはあると思います。

山本さん:そうそう。先輩からも、桐朋女子の体育祭は「世界一の体育祭」と聞いていて、在校中はそう思っていましたが、卒業してからはなお一層、そう思うようになりました。

栁田さん:ハッシュタグで「世界一の体育祭」と入れると、だいたい桐朋女子の体育祭が出てくるみたいですね。

 お膳立てされた舞台ではなく、生徒一人ひとりが何をすべきかを本気で考える。まさにアクティブラーニングを体現しているわけです。それは体育祭などの行事に限らず、同校のすべてに共通していることです。

山本さん:在校時代は正直、そうした自覚はありませんでしたが、言われたことはきちんとやりつつ、自分たちでやるべきことを見つけてやるのが当たり前というか、桐朋女子にはそういう空気感がありました。

状況を受け入れ、自分にできることは何かと考えて行動に移し、解決していく

■「自分の学びは自分で決める」自主性を大切に

桐朋女子_高2・3はカリキュラム説明会の後、それぞれ自分で自分の時間割を作る
高2・3はカリキュラム説明会の後、それぞれ自分で自分の時間割を作る

 同校では、対話を通じてチャレンジの過程に寄り添い、一人ひとりを見守る教育を行っています。そして、「自分の学びは自分で決める」自主性を重んじ、「個を大切にする」教育方針を貫いています。
 そうした6年間の学びを糧に、山本さんは国家試験に合格して病院薬剤師に、栁田さんは桐朋女子で1年間の教員経験を経て東京学芸大学教職大学院に復学し、菅原さんは秋から海外の大学院に進学する予定です。三者三様、それぞれが自分の未来に向かって力強く歩き出しています。

山本さん:薬剤師にもいろいろなカテゴリーがあるのですが、私は大学5年の時の実習の経験から、直接患者さんに寄り添っていきたいと思い、病院薬剤師になる道を選びました。

桐朋女子_先生方は前に出すぎることなく、生徒を後ろから支えるサポーター役だ
先生方は前に出すぎることなく、生徒を後ろから支えるサポーター役だ

栁田さん:私は大学で法律と並行して教職課程の単位をとっていくうちに、改めて先生という職業に憧れを持つようになり、桐朋女子で教育実習をしました。3週間という短い期間でしたが、先生方がどれだけ生徒のために時間をかけていろいろ考えてくださっていたことか。桐朋生の自主性という話が出ましたが、教員の立場になってみると、先生方は言いたいことをグッと我慢して生徒に任せてくださったんだなとか、陰ながらサポートしてくださっていたことがよくわかりました。

 その後、教員を目指した栁田さんは東京学芸大学教職大学院1年を終えたところで、1年間母校の教壇に立つことに。

栁田さん:教員という立場になると、教育実習生だった時以上に、いろいろなことが見えてきます。例えば生徒だった時は、提出物が返却された際に先生からコメントが添えられていることが嬉しかったのですが、いざ自分が教員の立場になって実際にやってみると、これが大変なんですね。でも、生徒一人ひとりの顔を思い浮かべながら「こういう良いところがあるから伸ばしていってね」とか、教員の思いを伝えることができるので、大変だけれど、こういうきめ細かさが桐朋女子の良いところだと感じました。4月から教職大学院2年に復学していますが、卒業後はできればまた桐朋女子に戻って教員になりたいと思っています。

 そして、秋から北欧の大学院に進学する予定の菅原さんは、観光学に興味を持ったことをきっかけに海外へと視野を広げていました。

菅原さん:旅先の観光地で自然破壊を見た時に観光と自然が両立できる方法を学びたいと思ったことと、病気の祖母に家族で最後の旅行をプレゼントした時の二つの経験が重なって、観光学を学びたいと思いました。観光学にはグローバルな視点が必要だと考え、大学在学中の留学が必須となるAO入試を選びました。留学中は自分へ挑戦の毎日でしたが、帰国してまだ挑戦が足りないと感じたので、海外大学院への進学を考えるようになりました。観光による地域活性化をテーマに、ホテルの経営なども学びたいと思っています。

■桐朋時代をひと言で表すと、「一生懸命生きていた6年間!」

 みなさんは明快なビジョンを持って羽ばたこうとしていますが、共通しているのは強い意志を持って進路を選び取っていること。その過程で、桐朋女子の教えが影響していると自覚したことはあったでしょうか?

桐朋女子_自習室にて。桐朋生は勉強と諸活動のメリハリをつけるのもうまい!
自習室にて。桐朋生は勉強と諸活動のメリハリをつけるのもうまい!

山本さん:あると思います。薬学部での6年間は想像を絶するほど大変でした。入学1年目の春から本当にやっていけるのだろうかと悩んだほどです。途中で辞めていった人や留年する人も多かったけれど、私が留年することもなく無事に国家試験に合格できたことは、やっぱり桐朋女子での経験があったからだと思います。部活でも体育祭でも「やるしかない!」と気持ちを切り替えて乗り切ってきた経験がすごく役に立ったと実感しています。自分が置かれた状況を受け入れて、そこで自分にできることは何かと考え、行動に移し、解決していく。そういう姿勢や粘り強さが中高6年間で培われていたのかなと思います。

栁田さん:6年間を振り返ってみると、すごく忙しかったと思います。部活も勉強もそうだし、レポート作成などやらなければいけないことがたくさんあったけれど、楽しさと忙しさと大変さがいっぱいあったことが良かったと思うんですね。大学生活がどんなに忙しくても、「桐朋時代に比べればまだマシ」みたいに思えましたから。桐朋時代にやるべきことをやり、やらなければいけないことをこなし、それを乗り越えてきたという自負もあるなと思いました。毎日が充実していたというか、やるべきことがいっぱいあった6年間という感じでした。

山本さん:一生懸命生きていたな、と思いますね。

菅原さん:私も毎日めちゃくちゃ頑張った6年間だったので、今の私にとってはそれが基準になっています。大学1、2年生の時は新型コロナウイルス感染症の流行で、どこにも行けない、何もできない時間でした。桐朋女子での6年間の充実した毎日に比べて、「私はいったい何をしているんだろう?」といつも思っていたんです。だからこそ、大学では時間を無駄にしたくないと、いろいろなことに挑戦しました。卒業論文で行った海外調査の際も、どうしても相手とコンタクトが取れないことがあって、もう直談判しかないと直接オフィスに行ったら、先方から「あなたは食いついたら離れないブルドッグだね」と言われてしまいました(笑)。でも、日々やるべきことをやるという桐朋女子で培ったモチベーションはずっと保ち続けたいと思っています。

桐朋女子_眩しさに耐えながら、清々しい笑顔を見せてくれたみなさん
眩しさに耐えながら、清々しい笑顔を見せてくれたみなさん

 栁田さんは、「桐朋女子では、常に自分はどう考えるかを問われるので、表現する訓練を積んできたことがさまざまな場面で役立った」と話します。また、「桐朋時代はリーダータイプじゃなかった人でも、社会に出たらいつの間にか、場を仕切ったり推進役になっていたと言う卒業生が多い」とも。
 桐朋女子という環境の中で、その学びの中で、生徒たちは自分でも気づかないうちに、リーダーシップとフォロワーシップの両方を兼ね備えていくのでしょう。

 広報委員会主任の田中大介先生は、学校説明会などで「桐朋女子は生きる姿勢を養う学校です」と説明するのだそうです。みなさんのお話を伺いながら、まさに桐朋女子の6年間は「Learning by Doing」の実践によって自ら生き抜く力、未来につながる学びを獲得するためのものなのだと心から納得できました。

■増え続ける学校推薦型選抜(指定校推薦)枠

「個に寄り添う」教育方針を貫き、創造性と人間力を育む教育で主体的に人生を切り拓く人材を育成してきた桐朋女子。創造力あふれる卒業生たちの活躍で、早慶上理など難関私学をはじめ音楽・美術などの芸術系から医療系まで幅広い進路選択ができる推薦枠は100校以上、人数にして650枠を超えています。

■高大連携を推進

 大学の高度な講義内容に触れることで生徒一人ひとりが進路についてより深く考え、視野を広げていくことを目指して、桐朋女子では高大連携の取り組みを加速させています。電気通信大学、東京女子大学、日本女子大学に続く4大学目として、津田塾大学と高大連携協定を締結しました。同協定に基づき、両校はお互いが求める学生像及び教育内容への理解を深め、両校の発展を図っていきます。

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