学校特集
聖徳学園中学・高等学校
聖徳学園のICT教育!
コンピュータの知識や技術を単に身に付けるのではなく、教育方針である「個性の育成」、「創造性の育成」、「国際性の育成」の3つを尊重したICT教育を実践してきた聖徳学園。今夏には、生徒たちに「深く早く理解できる」と大変好評な電子黒板がすべての教室に設置されます。これまで進めてきた同校のICT教育に加え、今春2015年入学の中学1年生から、タブレット端末(iPad)を使用した授業が本格的に始まりました。ICTを使ったアクティブラーニングの実践を日々研究しているというICT推進センター長の藤戸政綱先生に、聖徳学園のICT教育の実態と今後の展開について伺いました。
デジタルネイティブがiPadを持つとどうなるのか!?
iPadの導入から、家族を含めた反応まで
「現中1生は、通信教育などでタブレット学習が取り入れられた世代であり、生活の中でもゲーム機やPC、スマートフォンなどになどに触れ、慣れ親しんできた、いわゆる"デジタルネイティブ"たちです。実際に4月からiPadを使った授業が始まりましたが、生徒たちは3日もしないうちにすべての操作がわかってしまうのです。これまでがんばって操作方法を学んできた我々からすると驚愕の一言でした(笑)」と語るのはICT推進センター長の藤戸政綱先生です。 導入に際して先生方が危惧していたことは、保護者からの反発だったそうですが、それはほぼ皆無で拍子抜けするほどだったと言います。
しかし最初の一週間は、「想定内の"想定外"」の出来事が数多く起こったとか。
「一斉に使ったら通信がダウンしてしまったことがありました。これはiPadを触っていない間でも電源がオンになっていたために起こった現象とすぐに判明しました。またこれは予測できなかったことですが、家に持ち帰ったiPadを家族が勝手に触り、パスワードを子どもの誕生日と予測して開こうとしたために、ロックがかかってしまい『使えなくなった』と何人かの生徒が翌朝駆け込んできたりすることもありました。それだけ保護者の方々も子どもたちが持つ"iPad"に興味津々のようです」(藤戸先生)
生徒たちはもちろん、教員やご家庭まで巻き込んだICT教育。当分の間はiPad中心の学園生活が続きそうです。
ICTを通じた"心を育てる教育"は、
聖徳学園ならではの斬新な取り組み
聖徳学園におけるICT教育の特徴に、道徳の1時間を「ICT」の授業としたことがあげられます。
「ICTの授業では、コンピュータを使うための技術や知識を教えますが、本校がそれ以上に大切にしていることは "心を育てる"こと、つまりICTリテラシーを生徒たちに伝えることです」と藤戸先生は言います。
同校でのICTリテラシーとは、操作法をはじめ、ルールやマナーなどをきちんと理解し、得た情報などを自身で正しく対応・判断し「正しく使える」生徒を育てていくこと。この授業は、生徒たちがICTを活用しながら未来を切り拓けるようにと、他校に先駆け取り組んだ同校の英断と言えるでしょう。
「よく授業中にゲームで遊んでいる生徒がいて、スマホなどの持ち込みが禁止になったと耳にします。しかし、禁止しただけでは、リテラシーは育ちません。それを防止するためにも、なるべく早い段階で、ICTにおけるリテラシー教育を行う必要があると思います」(藤戸先生)
単に禁止にして、生徒たちの可能性を狭めるのではなく、学校では多少の失敗はかまわないという懐の深さで生徒たちを見守る聖徳学園。 藤戸先生は多少の無理をしても、枠の中に収まりきらない個性の覚醒を期待しており、まずは生徒自身が自分で考え、取り組む姿勢を尊重しています。
聖徳学園のICTの授業では、正しくiPadを使える能力を指す「磨く心」、相手の立場に立てる感受性を身に付ける「敬う心」、創作だけでなく、未知のものを探求して発見・研究・開発をする「創る心」、適切な人間関係を育む能力である「繋ぐ心」、伝えたい情報を適切なものとする能力の「伝える心」の5つの心を大切にしています。生徒と保護者それぞれに向けたパンフレットを作成し、同校が目指すICT教育のガイドラインを示しています。
聖徳学園のICT教育が目指していることはタブレットなどを"使える人間"に育てることです。これはICTの授業で繰り返し話されます。ではこの"使える"とはどういうことでしょうか。
「私はICTの授業にタブレットを持っていかないことがあります。生徒たちはタブレットを持っていないことを不思議に思うようですが、それはリテラシーについてさまざまな議論を生徒たちと交えるためです。アプリの取捨選択についてもさまざまな討論が展開されます。例えば、"数独"はパズルの一種だし、"将棋"も脳トレといえるのでは?いやいやあれはゲームでしょう!などなど、生徒たちからは絶え間なく意見が上がります。
先日もYouTubeの扱いをどうするのか話し合いました。YouTubeには、中学生が見るにはふさわしくない動画も存在しますが、授業の理解を助ける動画も多数存在します。そのため、しっかりと生徒たちと議論を重ね、最終的にはアプリでなく、ブラウザから入ることを条件に、賛成多数で使用OKとなりました。このような討論も本校が考える"ICT教育"の一環なのです」(藤戸先生)
聖徳学園では、21時~翌5時までは、インターネット類は使用禁止というルールを設けています。 にもかかわらず、21時以降にYouTubeを見ていたことが発覚し、一週間後には閲覧禁止となったそうです。
「YouTubeは今後も授業で使っていきたいですし、最終的にはツイッターやFacebookなどとも合わせて投稿する力も育みたいと思っています。ただし、それはあくまでリテラシーが高い生徒のみ許されることであり、その"心"を育むことが今後の大きな課題になると思います」(藤戸先生)
さらに藤戸先生はこう続けます。「我々もiPadを使ったICT教育に関しては、まだまだ素人のようなものです。例えば、ある生徒が"シムシティ"のような、非常に難しい街作りのソフトを入れていたことがありました。その理由を聞いたところ、将来は建築家になりたいと言っていました。また無料アプリを入れた生徒には、なぜ無料なのかというところから、その会社がどう利益を得ているのか、といった無料であるがゆえの危険性も含めて話し合いを行います。生徒たちがなぜそのアプリをダウンロードしたのか、ということには将来の適正や現在の関心事など、生徒を知るうえでも非常に参考になっています」(藤戸先生)
5月は「磨く心」をテーマに、iPadの正しい利用法や操作法を学んできました。 生徒たちは現在、「伝える心」、「敬う心」を養いながら、タブレットの活用に奮闘中です。
新潟県阿賀町で毎年実施される
中1スプリングキャンプでは
田植えや飯ごう炊飯を体験!
入学間もない行事のため、
友だちや仲間を作る絶好の機会にもなっています。
宿題を待ち焦がれる生徒が続々と出現
授業でiPadを活用すると、授業に疑問を残さない!?
牧島でペーロンレースに挑戦!
では実際、英語科の教諭でもある藤戸先生は、iPadを活用してどのように授業を進めているのでしょうか。 「今年の中1英語科はできるだけ"必然"を作り出すことに目標を置いています。私のiPadには生徒全員と各個人宛てのフォルダがあり、そこに宿題を入れることで、出題や提出が容易にできる設定になっています」(藤戸先生)
例えば「This is ◯◯ I like it/I don't like it」という例題にのっとって、自分自身の好き嫌いを吹き込んで、藤戸先生のフォルダへ期日までに入れるという宿題が課されました。
ある生徒は「This is English I don't like it」、「This is Steak I like it」......と、次々に自分の好きなもの、苦手なものを吹き込んでいきます。
藤戸先生は「これらの発音は授業でも練習しますが、中には学校では恥ずかしくて発音できない生徒もいます。しかしiPadを使った宿題では、嫌いな"英語"を言っている時と好きな"ステーキ"の場合では、明らかに声色に違いがあることに気付かされます。それは『恥ずかしさ』が抜け、感情がこもっているからです。授業では他者の目と緊張感で、この感情がどうしても伝わりにくい傾向にあります。この宿題を見ることで、生徒たちの意思や感情を汲み取ることができたことは、これまでとの大きな違いであり、素晴らしい発見でした」と言います。
iPadで宿題を出すようになってから、約1/3ほどの生徒が提出期限前に宿題を提出しているそうです。これは、先生方にとっても「うれしい想定外」だった、と藤戸先生は言います。
ゴールデンウィークに入る前日、藤戸先生はある企みを実行しました。 5月2日には送ると言っていた宿題を、2日の20時58分にわざと「Sorry!宿題の送信は明日になります」と書いて生徒たちへ送信したそうです。なかには、「Thank You OK!」と返信してきた生徒や、「早くしてください」と送ってきた生徒がいたそうです。それぞれの個性が見えると同時に、コミュニケーションの機会が大幅に増加したそうです。「そこには、生徒たちがワクワクしながら宿題を待っているというこれまでにはない、状況が見えてきました。今後の学習への姿勢を養うことを考えた時に、その環境を作れたことは非常に大きな出来事だと思います。本来、宿題は押し付け以外の何者でもありません。しかし現在の生徒たちのスタンスは、iPadを触るのが楽しくて仕方のない時期なのです。そのため、開いたら宿題が来ているとその勢いで取り組みます。しかし人間ですから、いずれはiPadに飽きる時が来ます。その時、きちんと宿題ができるかどうかが、我々教師の腕の見せ所です。教師が旧態依然たる考えでやっていると、元の木阿弥に戻ってしまうでしょう」(藤戸先生)
訪れ、歴史への造詣を深めます。
さらに、藤戸先生は授業について「はっきり言ってしまえば、英語を含めてこれまで行なっていた授業と基本は変わりありません。根本には英文があり、それを調べて和訳して発表させる。一番の違いは、以前はカセットテープやCDで音声を聴かせていたことでしょうか。しかもそれは、すべて先生のペースで行われていたのです。
しかし現在は子どもたちが自分のペースで聞きたいときにiPadで容易に、何度でも再生できます。 何度も聴けば、当然理解が深まります。また1回聴けば理解できる生徒は、次の課題へ進むことができます」
"教師主導"から"生徒主導"へ。iPad導入により、授業形式にも大きな変化が生じているようです。
ICT教育の将来展望と校内の実情
聖徳学園"体育祭"
「中1の間は毎週1時間のICTの授業を行います。アプリに関しては、授業で使っていくうちに生徒たちは使い方をマスターするでしょう。キーボード入力は、できれば"毎日パソコン入力コンクール"で三級に入るほどの力を付け、最終的には簡単なロボットを動かせるプログラミングができる力を付けることを目指しています。前提として、生徒たちの一人ひとりが『もっと使いたい』と思えるような気持ちを育てること、コミュニケーションツールでもあるので、コミュニケーションをきちんと取れるような人材を育成するのが目標です」と語る藤戸先生。
そのうえで「ICTの世の中になった時、本当にそれを使いこなせる子どもたちを育てていくためには、実はもう一度アナログの世界でしっかりと見直していかなければと思っています。例えば、iPadに教材を入れるためには、これまで使っていた教材を焼き直さなければなりません。その際に、新しい情報や画像を組み込み、より魅力的な教材として作り直そうという気になります。しかし、なかには作り直しという手間を嫌う教員がいるかもしれません。そこで、まずは作成したものを共有化することから始めて、ドライブの使い方など教員のリテラシーを高めることにも力を入れています」と教師陣の意識改革も同時に行なっていると教えてくれました。
パフォーマンスを披露♪
藤戸先生は「今まで学校は、SNSの問題などに目をつぶってきましたが、これからはICTの授業で大いに生徒たちと語り合うことができます。そこで、リテラシー教育の効果は出てくるでしょう。
私が知っている限りで、本校のように情報だけでなく、道徳的なリテラシーを中心とした授業を設けている学校は珍しいのではないかと思っています。
誤解を恐れずに言うと、我々はみんなICT教育においての素人だからこそ、おびえながらこのICTの授業を行なっています。専門家が来て、ボーダーラインをきっちりと引いてしまうのではなく、グレーゾーンがたくさんあるほうが、生徒たちがいろいろなことにトライできる伸びしろとなり、選択する力も養われます」と、生徒が萎縮すること無く学校生活を送れる、一つの方法論を提示してくださいました。
ICTの授業を始めて、生徒たちは「学習と関係がないから入れちゃダメ」など、互いに自分なりの価値観を持って物事の分別が言えるようになってきているそうです。 この、グレーゾーンという許容を認めながらも、生徒たちが自分自身で考え動けるような教育を実践している聖徳学園。この姿勢は、将来に渡って、この困難な世の中を柔軟に対応していける生徒の育成へとつながっているのです。