男子ラグビー 福澤慎太郎選手。学校から世界へインタビュー①
「学校から世界へ」第4回のアスリートは、進学校で学業も頑張る傍ら、ラグビーに打ち込んで、昨年、U17日本代表メンバーとして日韓中ジュニア交流競技会に出場、高3になった今年も強豪校の精鋭が集まる高校日本代表候補メンバーに選出されている本郷高校の福澤慎太郎(ふくざわ・しんたろう)選手です。【取材日:2019年6月28日】(取材・構成:金子裕美 写真:永田雅裕)
福澤慎太郎選手のプロフィール
2001年9月20日、東京都生まれ(17歳/高3)。身長168cm、体重98kg。ポジションはフッカー他。中学受験を経て本郷中学校に入学し、同校を代表するクラブの1つ、ラグビー部に入部。ラグビーは未経験だったが、恵まれた体格とラグビーに取り組む姿勢が監督の目に留まり、中1からフッカーに起用される。中3では全国大会で準優勝に輝いた。高校に進学後は、高校ラグビーの聖地「花園」(全国大会)出場を合言葉に、ますますラグビーにのめり込む。スピードと切れを生かした突進力が持ち味。その実力は高く評価され、高1で関東ブロックの強化練習会に参加。高2ではU17TID(Talent IDentification=人材発掘・育成)ユースキャンプ(U17日本代表候補合宿)の候補選手に選ばれて、トライアウトで代表の座を勝ち取り、日韓中ジュニア交流競技会(韓国・全羅南道麗水市)に出場した。その秋の全国高校総合体育大会東京都予選では、2年生ながらチームを牽引し、8年ぶりの花園出場を果たした。高3になった今年も高校日本代表候補に名を連ねて、TIDユースキャンプ(高校日本代表候補合宿)に参加している。高校生活も残すところ半年。大学進学に向けて準備を進めながら、6年間、ラグビーを通じて絆を深めた仲間とともに、2度目の花園出場を目指して充実した毎日を送っている。
人生を変えた中学受験
---ラグビーとの出会いを教えてください。
福澤さん「きっかけは本郷中学校に入学したことです。ラグビーをやるつもりで受験したわけではありませんが、塾の先生が本郷出身で、ラグビー部が強豪であることを聞いていたので、本郷に入学するならラグビーだろう、と思い、仮入部したのが始まりです。小学校ではあまり体を動かせなかったので、中学校に入学したら部活動に入ってしっかり動かしたいと思っていました。僕らの代は仮入部のときから人数が多く、25人くらいいたと思います。ワイワイしていて楽しかったです。夏に試合(菅平合宿での対外試合)があるので頑張ろう、どんどンボールに触っていこう、という雰囲気だったので、頑張れば1年生でも試合に出させてもらえるのかなと思い、モチベーションが上がりました。両親もラグビーを始めたことを喜んでくれました」
---中学受験をしたのですね。
福澤さん「私立の小学校(精華小学校/共学)に通っていたので、みんな受験するんです。小3から塾に通い始めました。そのときはサッカー(幼稚園〜小3)をやっていましたが、小4から野球(〜小6)を始めました。平日は塾、週末はスポーツと結構忙しい毎日でしたが、(電車通学のため)放課後、学校で遊ぶことがあまりなかったので、友だちのいる塾は楽しかったです。学年が上がるにつれて勉強が忙しくなり、野球はあまりできなかったので、当時は慶應に入って野球をやろうと思っていました」
---得意な科目は?
福澤さん「算数です。でも、ほかができなくて…。小6の夏あたりから精神的にきつくなりました。夏休みも勉強しかしないくらい。やる時は1日10数時間勉強しました。みんなもガチになってきて塾に通うのがいやになったんです。お正月も引きこもっていて、その頃には受験をやめてもいいと思っていました。でも、両親や塾の先生と話して、今からでも頑張って最後までやろうということになりました。それからは父と一緒に家で勉強して入試に臨みました。男子校が楽しそうだったので、男子校に絞って7校を受験。2月3日までに4校受けましたが希望の学校に合格できず。自暴自棄になって『もう受験はやめる』と再び親を困らせましたが、母と話して2月4日以降も受験することに。本郷も手応えはなく、絶対に落ちたと思っていましたが、家に帰って確かめたら受かっていました。あきらめずに受験して本当によかったです」
---スポーツは全般的に得意ですか。
福澤さん「球技は得意です。サッカー、野球のほかに、ドッジボールやバドミントン…。バドミントンはクラスの大会で優勝しました。卓球も学校のクラブ活動で1年くらいやりました」
---ラグビーのどんなところに惹かれましたか。
福澤さん「本郷中のラグビー部はとにかく楽しいんです。上下関係も厳しくないですし…。部員がたくさんいるので友達もたくさんできます。僕らの代は半分くらいが経験者で、その人たちが優しく教えてくれたから今の自分があります。顧問の先生は3人いて、監督は国語の先生、コーチは数学の先生、1年生の担当が英語の先生。体育の先生ではないんです。中学はお父さんコーチもたくさん来て、声をかけてくれるので、きつい練習も楽しく取り組むことができました。僕の父もめちゃめちゃ来てくれました。今もなぜか(中学の練習に)顔を出しています(笑)」
---お父様はラグビー経験者なんですか。
福澤さん「違いますが、父はすごく優しくて、僕のことが大好きなので、勉強もスポーツもつきあってくれます。入部した当初はスクラムハーフをやりたかったので、学校から帰ったらお父さんとパス練習をやるのが日課でした」
---そういう努力が実って、頭角を表したのですか。
福澤さん「部活動を楽しみながら一生懸命やっていたら、入部して1ヵ月後くらいに監督に呼ばれて『お前にやらせたいポジションがある』と言われました。そしてフォワードに行かされました。希望していたポジションと違ったので、そのときはショックでした。痛そうなプレーが多くて抵抗があったのですが、フッカーってどんなポジションなんだろう、と思いインターネットで調べると、いろいろな能力が必要とされる重要なポジション(2番/スクラムの中心。フィールドプレーでは体で当たって相手ディフェンスを突破する力が求められる)だったので、挑戦しがいがあるなと思いました。その後の立ち直りは早かったです。新しいことへの挑戦は、ワクワクしました(笑)」
フッカーとして花ひらいた中学時代
---なぜ、フッカーに起用されたと思いますか。
福澤さん「骨が太いからですかね。仮入部したときに『君は何のスポーツをやっていたんだ?』と聞かれて、胸とか触られて(笑)」
---体格がよかったのですか。
福澤さん「入学したときは身長155㎝、体重40kg前後でした。体重は今の半分以下です。細身でしたが、小学校の時から牛乳が大好きで、毎日1リットル飲んでいたので骨だけは育ちました。監督に『すぐ太れ』と言われたので、それを母に伝えると、料理が得意なので腕を奮ってくれました。母も優しいんです。毎日大きなお弁当を持って登校し、家でも学校でも食べまくって、体重は毎年10kgずつ増えて行きました。現在は98kgです。今、牛乳は毎日2リットル飲んでいます」
---上達するために、何か工夫をしましたか。
福澤さん「中学ではボールを持ったらとにかく(相手に)当たる、という基本を教えられたので、まっすぐ当たるということだけを考えてプレーしていました。とにかくうまくなりたかったので、当たりの強い先輩がいれば、こんな風に吹っ飛ばしてみたいなと思って研究したり。パスはこの人、キックはこの人、というように、身につけたい要素ごとに目標とする先輩を見つけて追いつけるように練習しました。家に帰ってからは、ラインアウトのスローを父と練習しました。フッカーはスロワー(ラインアウトのときにボールを投げ入れる人)を任されることが多いポジションなので、スローも身につけたいと思ったのです。そのうち監督にスローが認められて、フッカーに定着しました」
---初めて試合をしたのはいつですか。
福澤さん「中1の夏の練習試合(中学は12人制/20分ハーフ)です。菅平にいろいろな学校が来ていて1年生同士の試合があるんです。それに出させてもらったのですが、100%で当たって100%で走るということを、ずっと続けることが想像以上にしんどくて…。体がついて行かず、前半が終わったときに自分から「代わっていいですか」と監督に言って交代させてもらいました。1試合もたなかったので、もっと頑張らなければいけないと思いました。試合と練習とでは、相手の雰囲気や、体の当たりの激しさがまったく違うので、ボールを持ったらパニック状態でした。たくさん試合に出て慣れることが必要だと思いました」
--チーム内にライバルは?
福澤さん「同じポジションでは1つ上の先輩だけですね。同期にはいませんでした。自分の転機というか、練習の成果を実感したのは中2の都大会でした。決勝の1週間くらい前に、先輩方に混ざって練習していたときに評価されて、決勝で初めて公式戦のスタメンに起用されました。その試合に勝って優勝したので、自分には印象深い試合になりました。ひたすら練習すればスタメンになれるんだ、と思いました。もっと練習すればもっとうまくなれるのかなと思いました」
---中3の年は、全国大会で準優勝しているんですよね。
福澤さん「はい。僕らの代は中1の時から経験者が多かったので強かったんです。自分が必死についていったらいつのまにか全国大会で準優勝していたという感じですが、中3の年は副キャプテンだったので、みんなについていくというよりも自分がみんなを引っ張っていくという気持ちで全国大会に臨みました」
---リーダーシップには自信がありますか。
「それほどではありませんが、自分がやりたいとき、やらなきゃいけないと思ったときは前に出ますね。僕らの代はキャプテンがすごく引っ張ってくれたので、僕はチーム内の意識を高めることを心がけました。自分が伸びた要因は、真面目さ、真剣さだと思っています。練習の1つ1つに意味をもって取り組んできてましたが、自分だけではチームが勝つことはできないので、みんなで意識を高く持って練習に臨めるよう、自分の考えを積極的に伝えるようにしました」
---スタメンは全員3年生でしたか。
福澤さん「そうです。だから団結力がありました。前年までは監督の指示に従って練習していました。今の中学生もそうですが、僕らの代はキャプテンを中心に自分たちで練習メニューを考えて練習しました。監督も僕らの自主性を尊重してくれて、水まきをするなど雑用をしながらあたたかく見守ってくれたので、ありがたかったです。試合中に考える力はすごくついたと思います」