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コラム

バスケットボール江原信太朗選手。学校から世界へインタビュー①

「学校から世界へ」第6回のアスリートは、実践学園高校の江原信太朗(えはら・しんたろう)選手です。

「学校から世界へ」第6回のアスリートは、恵まれた体格を生かしてバスケットボールで頭角を現し、実践学園中学校では2年連続日本一に。中3の冬にU16日本代表メンバーとしてチェコ遠征を経験後、ポジションの幅を広げて高校でも活躍。高3の夏にはU20日本代表の強化合宿参加メンバーに選ばれるなど、輝きを放ち続ける実践学園高校の江原信太朗(えはら・しんたろう)選手です。

江原信太朗選手のプロフィール

2001年8月20日、神奈川県生まれ(18歳/高3)。アメリカ人の父と日本人の母、妹、弟2人の6人家族。父の影響で小3からバスケットボールを始める。中高一貫で強化を図る実践学園中学校バスケットボール部に入部後も、長身を武器にセンターで活躍。中2の全国大会で初優勝を遂げると、中3でも連覇を成し遂げて実践学園中学校の黄金期を築いた。そのメンバーに加え、「実践学園でプレーしたい」という他校の強者が集まった高校でも異彩を放ち、センターだけでなくフォワードもこなせる力をつけて実践学園の名を全国に知らしめた。高2のウインターカップ(全国高等学校バスケットボール選手権大会)ベスト8、高3の関東大会優勝は創部初の快挙。4月からは東海大学に進学し、さらなる高みを目指す。U16(中3)に続き、U20(高3)日本代表。

【取材日:2020年1月25日】(取材・構成:金子裕美/写真:永田雅裕)

バスケットボールとの出会い

―バスケットボールとの出会いを教えてください。

「お父さんはアメリカ人で、横須賀海軍施設で働いていました。軍のバスケットボールチームに入っていてプレーする姿を小さい頃から見てきたので、自然と興味を持ちました。小学校(インターナショナルスクール)に入ると、昼休みに友だちと遊びでバスケをやるようになりました。ミニバスケットボール(以下、ミニバス)のチームに入ったのは小3の時です。インターナショナルスクールは6月あたりから夏休みに入るんですね。日本の小学校よりも1ヵ月くらい早いので、日本の小学校が夏休みに入るまでの間、地元の小学校(相模台小学校)に通っていました。小3の時に友だちと一緒に体育館を見に行くと、その学校で活動しているミニバスチームが練習していて、体験に行ったら楽しかったので入部しました」

―練習は週に何日くらいありましたか。

「週6日です。練習時間は17時~19時でした」

―その頃から背は高いほうでしたか。

「大きいほうでしたけど、小3の時は(チーム内で)1番ではなかったですよ」

―ご両親も長身ですか。

「お父さんは193cmくらいあります。お母さんは175cmくらいで、中高時代にバレーボールをしていました」

―スポーツ系の血を受け継いでいるのですね。ミニバス時代から目立つ選手だったのでしょうね。

「小4になると上級生の中に自分と同じポジションの人がいなかったので、結構試合に出させてもらいました。その時は自分が一番大きかったので、ゴール下あたりで高さを生かしたプレーができました」

―ポジションは?

「センター(インサイド/主にスリーポイントエリア外でプレーする)です」

―チームは強かったですか。

「できたばかりのチームだったので小5の年はあまり勝てなかったんですけど、小6の年は県大会でベスト8まで行きました。その大会では、実践学園高校で同級生の井川広登君がいたチームに負けました」

―バスケットボール以外にもスポーツや習い事をしていましたか。

「時々アメリカンフットボールをやっていました。基地の中に住んでいたんですけど、そこで小学生のスポーツリーグのようなものをやっていて3ヵ月ごとに種目が変わるんです。自分はアメフトとバスケの時期だけ参加していました」

―どういうところにバスケットボールのおもしろさを感じていましたか。

「サッカーや野球と比べると点数がどんどん入るスポーツなので、それがおもしろいですし、体をぶつけ合ってフィジカルで勝負できるところも好きです」

―日本の小学校には馴染めましたか。

「はい。みんな優しくしてくれて、すぐ友だちになれました」

―自分から入っていけるタイプですか?

「その頃はそうでしたけど、今は少しシャイです(笑)」

―インターナショナルスクールと日本の小学校とでは勝手が違うところも多かったのでは?

「そうですね。1日が終わったらみんなで掃除をするという習慣はインターナショナルスクールにないので驚きました。給食は日本のほうが全然おいしいので、毎日楽しみでした(笑)」

―日本語も上達したのでは?

「お母さんが、日本語をしゃべれるようになってほしいと思って僕を日本の学校に入れたんですけど、日本語を聞き取ることはできてもしゃべることは難しかったです」

―ご兄弟とは仲がいい?

「妹(高2)とは年が近いのであまり遊ばないんですけど、小学生の弟たちとはよく遊びます」

―どんなことをして遊ぶのですか?

「弟たちもバスケットボールをやっているんです。自分が引退してからは時間があるので、弟が入っているミニバスチームの練習に行ったり、家ではパソコンのゲームをしたりしています」

ターニングポイント

―実践学園中学校に入学した理由を教えてください。

「先生に声をかけてもらって練習を見学しに行くと、先輩方がみんな上手で、僕もこんなふうにうまくなりたい、高いレベルでやってみたいと思ったので入学しました」

―生活は変わりましたか。

「慣れるまでに時間がかかりました。一番大変だったのは言葉です。日本語ができなかったので、自分の思っていることをうまく伝えられなくて結構辛かったです。でも、チームメイトが自分の言いたいことを理解しようとしてくれたので助かりました。また、自分の担任の先生が英語の先生だったので、気兼ねなくいろいろな話ができました。それもありがたかったです」

--学校が配慮をしてくれたのでしょうね。

「そうだと思います」

―バスケットボール部では順調でしたか。

「同じポジションに中1の頃から試合に出ている小玉大智先輩(東海大学1年)がいて、すぐには試合に出られなかったんですけど、自分もタイチ先輩のようになりたいと思って練習しました」

―ターニングポイントは?

「中2の都大会で小岩四中と対戦した時に結構試合に出させてもらってからプレータイムが増えてきて、その後の関東大会あたりからスタメンになりました。そこで結構自信がついて全国大会で初めて優勝しました」

―その時のポジションは?

「タイチ先輩と2人で、同じポジション(センター)を交代しながらやりました。中2の1年間で170cmくらいから185cmくらいまで伸びたので、中学校まではセンターでも結構活躍できました」

―中学校時代は中3の年も全国大会で優勝して中学バスケットボール界に実践学園の名を広めましたが、力をつけた要因はどんなところにあったと思いますか。

「(チームとして)ディフェンスの強化に力を入れているので、ディフェンスができないと試合に出ることができませんでした。また、プレーだけでなく学校生活をしっかりやるということも求められていて、それも力になったと思います」

―江原選手はどちらかというとオフェンス型ですよね。

「そうですね。だからディフェンスは今も頑張ってやっています」

―バスケットボールは状況がめまぐるしく変わる競技ですが、上手な選手はどういう力が長けていると思いますか。

「状況を判断する力だと思います。相手と身長差があったり、実力差があったりすることをミスマッチって言うんですけど、自分はそういうところをできるだけ早く探して、攻めやすい状況を作るということを意識しています。それから、相手チームに調子が悪くてシュートが入らない選手がいたら、なるべくその選手にシュートを打たせるようにするとか、相手の弱点を探してそれを利用するということもします」

―事前に相手チームの情報は共有していると思いますが、試合が始まってからもコミュニケーション力が重要になるのですね。

「そうですね」

―20分間、動き回る中で意思疎通を図るのは難しくないですか。

「試合よりも練習のほうがしゃべれるので、試合でミスが出ないようによくしゃべっています。また、試合前にはミーティングをして、こういう場面ではこう攻めようなどの確認をしているので、試合ではそんなに説明しなくてもわかります」

―江原選手が日本語でコミュニケーションが取れるようになったのはいつ頃ですか。

「中1の終わり頃です」

―その頃からチームメイトとより仲良くなって、身長も伸びて、技術も向上していったのですね。最初に選抜チームに選ばれたのもその頃ですか。

「中2の時に東京都選抜に選ばれました。中3ではU16日本代表に選ばれて、1月1日にチェコ(CRYSTAL BOHEMIA CUPに参加)に行きました。この時の合宿で外(アウトサイド)のフォワードというポジションをやらせてもらいました。同じポジションには自分のチームでもフォワードをやっている人が多かったので、追いつかなければいけないという気持ちで練習しました。おかげで結構できるようになり、高校に上がってからも相手が大きい時はフォワードでプレーしました。外からドリブルで切り込んでシュートを決めることもありました」

--海外のチームと試合をして、どんなことを感じましたか。

「みんな大きくて力がありましたけど、自分たちにはスピードとスタミナがあったので、外国の選手よりもディフェンスで頑張ることができました。自分はスピードがないんですけど体は強いほうなので、体を使って相手との距離をとってシュートに行けるように練習しました」